世界に通底する「分断」に向き合うために――『わたしは分断を許さない』堀潤監督に聞く

堀潤監督の新作『わたしは分断を許さない』

(C)8bitNews

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 堀潤監督の新作『わたしは分断を許さない』が、ポレポレ東中野ほか全国で公開されている。テーマはタイトルにもある通り、「分断」。フリージャーナリストとして世界各地で取材を続ける堀監督だが、この言葉はあらゆる現場で共通するキーワードであると感じた。  シリア、朝鮮半島、香港、福島、沖縄…。各地で深まっていく分断に対して、私たちは何ができるか。堀監督は「わたし」、言い換えれば「個」を重視して考え、発信していくことで分断に向き合えるのではないかと語る。「分断」を初めて意識してから映画の完成まで、10年以上に及ぶ過程や時代の変化、また堀監督自身の心境の変化などについてお話をうかがった。

自身が「分断」に加担していないかという問い

――堀さんが「分断」という言葉を意識し始めたのはいつ頃からですか。  最初は、2008年のリーマンショック前夜ですね。日雇い派遣が市場で解禁されて以降、いろんな問題がふくらんでいったんです。僕は非正規労働の現場目線でニュースを伝えることが多かったんですけど、日雇い派遣を専門にする会社がさまざまな労働災害を引き起こす状況が問題になっていました。日雇い派遣の運営企業は六本木ヒルズの上層階にオフィスを構えていたりするいっぽうで、企業に利益をもたらしている日雇い派遣の労働者は、ビルの前で抗議しても警備員によって排除される。そうした経済格差は、分断を露骨に感じさせました。  ある日、製造業の現場で働いている派遣の男性と話をする機会がありました。そこで「堀さんを評価するのはどこの部署ですか」と言われて、「人事部です」と答えました。そうしたら、「そうですよね、どこの部署が私を扱っているか知っていますか?資材部なんです」と言われたんです。今日は燃料がどれくらいいるのか、ねじやトンカチはどれくらい使うか、資材部で材料と同じように扱われていて、トンカチと差はないんだと。返す言葉がありませんでした。 堀潤監督 それから10年以上が経ちましたが、経済情勢の流れを見ると、富める人、貧しい人の格差は開く一方ですよね。その中でイデオロギーの対立が生まれて、それは排斥や排除にもつながっていく。トランプ現象や、イギリスのEU離脱もその好例ですが、そのさなかに原発の事故が起きた。これを経済の話として見た時に、全体の国益や日本経済全体が優先される中で切り捨てられる個人がいることを痛感しました。 ――そうした問題について、しかし個々人が主体的に考える姿勢はなかなか定着していません。ジャーナリストの安田純平さんが、作中で発した言葉が印象的でした。「遠いから興味がないという日本人は少なくない。でも、遠くの人の死に関心がない人は隣近所の人の死にも関心はないのではないか」と。逆に、どうすればそうした問題に興味が持てると思われますか。  ふたつあって、まずは主語の置き方を変えることだと思います。映画の冒頭、大きな主語ではなく、小さな主語に光を当てたいとナレーションで語っていますが、「中東は」「日本は」といった大きな主語で語ると、どこの誰のことを指しているのかがわからないし、危険も大きい。「被災地は今苦しんでいる」という言葉ひとつにしても、賛同する人もいるでしょうけど、ある人から見れば、この10年近く風評被害と戦っているんだから、一義的なレッテル貼りはやめてくれとなる可能性もある。では、何が分断を生まない言葉の使い方なのか。この町に住んでいるAさんは今こうで、一方あちらの町のBさんはこういう状況だとか、小さな主語で語ることが重要だと感じています。
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 そこからはじめて、個のストーリーが見えてくる。「シリアをなんとかしよう」では響かなくても、シリアから避難してきたビサーンちゃんは、お医者さんになりたいんだけど戻ったら殺されるかもしれない。彼女のためにはどうすればいいかと問いかければ、ちょっと想像ができる余地は生まれる。そういう伝え方をするべきだし、小さな主語の価値を共有することは必要なんです。  もうひとつは、足元に目を向けること。今回、一番のポイントは「わたし」という主語を置いたことです。知らず知らずのうちに選択したことが、誰かを傷つけたかもと問いかけることには大きな意義があります。先ほどのように大きい主語で、被災地は苦しんでいますと言ったら、それはあくまで善意のつもりでも、「誰か」を貶めるものにもなりえてしまう。実際、そういう失敗を僕自身も続けてきました。「わたし」という自分に密接な主語で語ることで、自らの加害性に目を向けられるし、それが、いまいただいた質問の答えになるのではないかと思います。「遠くの人のことを知らないで生きている」と思うだけでも、全然違います。 ――実感として思うことですが、「自分が被害者だったら」とは思っても、「加害者だったら」とはなかなかなりません。  作中にもやり取りがありますけど、平壌における日朝の学生たちの会話は象徴的だったと思います。日本の学生が「なぜ核実験をするのか」、「なぜ日本に向けてミサイルを打つのか」と尋ねたら、北朝鮮の学生が、「なんで自衛隊もいるのにアメリカ軍がいるのか」と問い返した。こうしたやり取りによって、自分たちも誰かの脅威になっているのではという目線が生まれうるし、異なった立場の人と、交流して意見を交わすことは重要なんです。 ――北朝鮮は日本からはどうしても「危ない国」みたいに見られますけど、逆に北朝鮮の国民に日本がどう見られているか、他者の視点を想像することは大切ですよね。  そうですね。そのように「個」としての視点を突きつめた先に、拉致問題の解決や、核ミサイル開発への対応があるんじゃないかと思います。北朝鮮に対して政治家や言論人だけが向き合うような状況は違う。政治の力で解決しなくてはいけない問題はあるけど、そのアプローチは個々人でも考えることはできるんです。
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さまざまな地域に通底する「個」が犠牲となる構図
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