――ご自身の著書『声めぐり』では「手話、抱擁、格闘技、沈黙…。ひとつひとつ向き合えばすべてが声になる」とし、映画の中では道路に芽吹く植物を見て「声っぽいよね」と言っていますが、齋藤さんにとっての「声」はコミュニケーションの手段に留まらず、生命を感じる、本能を感じるものの象徴という印象を受けます。その点についてはどのようにお感じになっていますか?
齋藤:中学校までは、ろう学校でなく、一般学級の小、中学校に通っていたので、音声だけがコミュニケーションのすべてだという思い込みが長くありました。その、コミュニケーションのすべてであるはずの音声が「わからない」ということは辛いことでした。ところが、中学卒業後の進路先として、ろう学校を選んだことで、手話に出会い「眼できく声」もあることを知りました。コミュニケーションの形は一つではないと知った瞬間でした。
――ろう学校に入ったことが転機だったんですね。
齋藤:そうですねえ。そこから筆談も始めました。そして、20歳を過ぎて補聴器を外して写真を撮り始めて様々な人と出会うようになるのですが、その人達は、様々に違う体を持った人たちでした。体が違えば、当然、関わり方も変わって来ます。
そして、様々な体を持つ人と出会うにつれて、「待つ」ことも「まなざし」も「たたずまい」も「表情のゆらぎ」も、すべて「声」として受け止めることができるんだと知りました。音声だけではあまりにも頼りなかったものが、そうしたものを声として受け止めることで、確信をもって写真を撮れるようになりました。それが、ぼくにとっての「声」で、とても魅力的なものです。
――今、おっしゃったようなことが「声」だと感じたきっかけはあったのでしょうか。
齋藤:そう思うようになったきっかけは、障害者プロレスですね。ドッグレッグスという団体に所属し「陽ノ道」というリングネームで活動しています。
©2020 hiroki kawai SPACE SHOWER FILMS
脳性まひや知的障害、聴覚障害など様々な体の人がそれぞれの体を活かしてリングにいる。その姿に痺れたのが、自分も選手として活動してみようと思った大きなきっかけです。
ドッグレッグスも僕にとってはコミュニケーションです。
――様々なタイプの人と体を通してコミュニケーションすることで、感じることが増えたんですね。
齋藤:ドッグレッグスに出会う前の自分にとっての音声は、ただのノイズのようなネガティブなものでした。それが「音」ではなく、「声」になって。「声」はもっと幅広く、もっと根源的なものだと知ってからは、楽になったし、受ける情報量が圧倒的に増えました。
音声が「声」になったから、写真を撮ることができたと思っています。
――学校の音楽の授業などで周りとリズムを合わせるのが苦手だったことから音楽が苦手になったとのことでしたが、映画の中で「アートも音楽も絵も写真もあらゆる表現方法の根本にあるものは生存本能の発露である」と述べています。その本能が音楽が苦手だった齋藤さんから樹君への「子守歌」を引き出したのだと思いますが、その点についてはどのようにお感じになっていますか?
齋藤:命を受け継いでいくことは、人間の本能に備わっているプログラムだと思います。そういう意味で、子守歌は、聞こえる人にとっては、人と人をつなぐ大切なものだろうなという思いはありました。なので「ぼくも、子守歌を子どもに届けたい」という願いは少なからずありました。
でも、幼少の頃からの音声に対する苦手意識がそれを邪魔していて。
©2020 hiroki kawai SPACE SHOWER FILMS
ところが、樹さんと肌を通した会話を重ねるにつれて、そうした自分の過去の思い煩いよりも「目の前のこの子に届けたい」という気持ちが強くなりました。それが、子守歌が生まれることにつながったのだと思っています。
――子守歌は樹君を抱っこするうちに自然に出てきたんですね。
齋藤:子どもと日々をすごすうちに、聴こえなかったことでしんどい思いをした過去がほぐれていくのを感じます。いや、もっと根源的なところで確かにあった記憶を思い出すようになっている、という感じかな。そのことは2人目の畔さんを迎えてより強く感じます。
聴こえないからといって、声を出すことが気持ち悪い、ということにはならないですよね。聞こえる聞こえないに関わらず、人間の本能として、ただただ声を出すことへの喜びは確実にあります。
僕の声をそのままにうけとめてくれる子どもがやってきたから、自分の声を楽しく生み出していく喜びに気づくことができました。そういう意味で、とても素朴で根源的なところに戻って来ている気がします。
子どもたちが、人間に備わっている大切なものに僕が戻っていくのを手伝ってくれていますね。
――『異なり記念日』でドラッグストアで一緒にいた樹君が店内に流れている音楽に喜ぶのを見て「異なることが嬉しい」と述べています。その日を「異なり記念日」としていますが、耳が聴こえる樹君と過ごす中で他に「異なることが嬉しい」と実感したことがありましたらお聞かせください。
齋藤:「異なり記念日」は、大切な出来事が起きた日に限るので、最近ではとくにないです。でも、今、樹さんは保育園に行っていて、音声の言葉がとても増えているんですね。
彼は手話をまだ使ってやりとりできていますが、やがては手話よりも音声でコミュニケーションしたくなるときがくるはずです。それは小学校に上がった頃からかな、とも思っています。つまりあと2年。2年後に、大きな「異なり記念日」がやってくるんじゃないかなぁと、今から予感しています。
※後半では河合宏樹監督に『うたのはじまり』の制作経緯や作品に込めたメッセージなどについてお話を聞きます。
<取材・文/熊野雅恵>
くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。