翌日夕方、スキューバダイビングを終えた筆者は再びこの歯科を訪れた。
「では、麻酔を打ちますね」
そして顔の上にタオルをかけられた。したがってその後の動きは見ていない。
前歯の部分で何やら磨いていたり、こすっていたり、ときどき水を吹きかけたりという感触はあるのだが、実際には見ていないのでよくわからない。
おそらくは一時間ほどたったころだろうか、この歯科医がタオルを取り外した。
「出来上がったので、ご覧ください」
「すごい!」
筆者は文字通り絶句した。
あれほど悩みだった前歯の隙間が見事に消滅し、真っ白な歯が綺麗に揃っている。まだ麻酔がきいており、裏側が少々分厚すぎる気がしないでもないが、審美的には何の問題もない。分厚いものは微調整で削ればいいだけだ。
「ああ、これでお婿さんに行ける」
筆者は本気でそう思った。
冒頭の写真が、実際のビフォアとアフターである。セラミックのベニアと比較すると数年で変色する可能性はあるらしいが、その時点では専門の歯科医や衛生士ならともかく、素人が一目見ただけではまずわからないレベルだ。
歯を削って一か月以上待って40万円、歯を削らずにその場で加工して9000円、どちらがよいかは言うまでもない。
もうこれで、日本の歯科よりタイの歯科が優れているということについて、少なくとも筆者的には疑問の余地は全くなくなった。だが、時間的にも金銭的にも当時の筆者にとっては前歯を埋めることが限界だった。
忘れてはならないのが、この治療を行ったのがタイはタイでも「サムイ島」であり「首都バンコク」ではなかったということだ。
タイが日本以上の一極集中国家であることを筆者が実感するのはまだ後のことだが、大部分の国において一番優れたものが首都に集まるのは常識である。
考えてみれば、大部分の歯科はどこも判で押したかのように「歯形をとって、バンコクへ空輸し……」と言っていた。つまり、バンコクには確実にこれ以上の歯科サービスが揃っているに違いないのだ。
それにしても、である。例の「渋谷40万円クリニック」はなぜこのレジンによる「即席矯正」を教えてくれなかったのか。日本にもレジンを使用する審美歯科治療はあるはずなのに……。
もし「40万円」を先に提示して筆者に「高いな」と思わせた直後に、「でもレジンなら今日のうちに治せます。六万円で」と説明されていたなら迷うことなく飛びついていたに違いない。営業が下手だった、としか言いようがない。
歯を治すのはバンコクで決まりだ。何年後になるかわからないが、もう一度しっかり貯金してタイに戻ろう。そしてバンコクで完璧な歯を手に入れるのだ。筆者は固く決意した。
<文/タカ大丸>
ジャーナリスト、TVリポーター、英語同時通訳・スペイン語通訳者。ニューヨーク州立大学ポツダム校とテル・アヴィヴ大学で政治学を専攻。’10年10月のチリ鉱山落盤事故作業員救出の際にはスペイン語通訳として民放各局から依頼が殺到。2015年3月発売の『
ジョコビッチの生まれ変わる食事』は15万部を突破し、現在新装版が発売。最新の訳書に「
ナダル・ノート すべては訓練次第」(東邦出版)。10月に初の単著『
貧困脱出マニュアル』(飛鳥新社)を上梓。 雑誌「月刊VOICE」「プレジデント」などで執筆するほか、テレビ朝日「たけしのTVタックル」「たけしの超常現象Xファイル」TBS「水曜日のダウンタウン」などテレビ出演も多数。