入試改革を失敗させた上にまだ記述式に固執する残念な人たち<入試改革のあやまちを繰り返さないために2>

設計者の発言を検証する

 見送りあるいは延期になった「英語の民間試験の利用」と「数学と国語の記述式」についてですが、同じ轍を踏まないように、これまでの旗振り役の発言を検証していきましょう。  発言は、主に鈴木寛氏のものとされるものです。鈴木寛氏については、東京大学と慶応大学の教授として紹介されますが、入試改革については、福武財団の理事という肩書も忘れてはなりません。最初に断っておきますと、私は鈴木寛氏とは面識がありませんので、その人となりは語ることはできません。以下は、あくまで個人に対する評価ではなく、発している意見に対する評価です。また、すべての意見が誤りということではなく、正しくても誤りであっても、国の設計をどの程度の認識で行ってきたのか理解していただけるとよいと思います。 ◆1:英語の4技能が必要だとする話の流れで、コミュニケーション英語が必要である理由としてあげた、「国内にいてもインバウンドの観光客がすでに3000万人、いずれ4000万人になる。観光客の接客でも英語が必要。漁業や農林業でも、外国人と仕事をする機会が増える。今や広島では漁業従事者の6分の1が外国人です。グローバルな大手企業の場合、上司や部下、同僚、取引先に必ず外国人がいる。極論かもしれませんが、移民がこれから数十万人入ってくれば、英語のできない若者が失業する可能性が高まる」という発言。  日本政府観光局のデータでは次のようになります。2019年の最終データはまだ出ていないので、2018年のデータを調べました。インバウンドの観光客(海外からの訪日旅行客)は、3119万1856人、3000万人を少し超えています。しかし、その上位3国は、中国(838万0034人)、韓国(753万8952人)、台湾(475万7258人)です。そして、第4位が香港で第5位にようやく米国が入ってきます。駅などの案内板に英語表記の他に、中国語表記、ハングルの表記が増えたのは納得がいきます。2019年は韓国からの旅行客は200万人ほど減る見込みですが、全体の順位は変わりません。  さて、コミュニケーション英語が大切なのは理解できますが、それを観光客の増加を理由に挙げるのはいかがなものかということです。単に、観光客とコミュニケーションをとるのであれば、中国語の方が必要ということになります。 ◆2:英語の民間試験になぜ反対するのかという話の流れで出た、「日本の大学院の多くと、大学の3分の1も入学選考の参考資料としてすでに使っています。東大でも大学院入試と帰国子女の大学入試で利用しています。『今までそれで何か問題が起きましたか?』と言いたい」いう発言。  民間試験が中止になった理由に耳を傾けてもらいたいと思います。中止になった理由の一つに会場の確保がありました。大学院の入試と50万人が受ける試験では一方ができたからもう一方もできると考えるのは、簡単に考えすぎです。 ◆3:今の子供たちの多くは2100年まで生きるでしょう。AIが人間の知能を超えて社会に大変革がもたらされる『シンギュラリティ』が2040年頃にやって来るとされているので、彼らは人生の3分の2をシンギュラリティ後の時代に生きることになります」  これについては、共通テストからは少し離れますが、詳しく調べてみました。  まず、「今の子供たちの多くは2100年まで生きるでしょう。」についてです。「今の子供たち」が何年生まれの人達を指しているのかが不明ですが、2021年に共通テストを受けることになっている2002年生まれの人で考えてみます。  2019年7月の段階での平均寿命は、男性が81.25歳、女性が87.32歳です。また、「平均余命」という考え方もあり、それは年齢ごとに平均するとあと何年生きられるかというデータです。2017年の厚生労働省の簡易生命表によると、その時点で15歳だった人の平均余命は、男性が66.37年、女性が72.52年となっていますので、2002年生まれの人は平均すると、男性が2083年、女性が2089年まで生きることになります。  ところで、平均寿命や平均余命という値は、若くして亡くなる方が数値を大きく下げる働きがあります。例えば、ある4人の寿命が30歳、80歳、84歳、86歳の場合は平均寿命は70歳になりますが、平均寿命を越えた人は全体の4分の3の3人ということになります。つまり、「半数より多くの人」は平均寿命より長く生きるのです。そこで、寿命中位数という考えがあります。これは、同じ年に生まれた1000人が500人になる年齢と考えればよいでしょう。2017年の段階で、この寿命中位数は男性が84.08歳、女性が90.03歳となります。したがって、このままの状態で進むとすれば、2002年生まれの人が半減する年は、男性がおよそ2086年、女性がおよそ2092年というとなります。この場合も「今の子供たちの『多く』は2100年まで生きる」ことにはなりません。(「多く」を少なくとも「半分以上」と考えた場合です。)ただし、「子供たち」を「今の10歳の子供たち」というのであれば、女性に限ればこの発言は誤りとは言い切れません。  次にAIが起こす「シンギュラリティ」(技術的特異点)は、2045年問題などと言われています。  細かいですが2040年は考えられているよりも少しだけ早いです。しかし、2040年になる可能性ももちろんあります。何が言いたいかと言うと、このように人を説得しようとする人はちょっとずつ話を盛って自分の主張が正しくなるように事実を曲げていくものなのです。 ◆4:似たような発言で次のようなものもあります。 「マークシート試験で測っている能力は、いずれすべてAIで置き換えられるということです。マークシートで問える能力を磨くための学びとは、“失業者の養成”にほかなりません。」 「AIの東ロボ君は、記述式の東大二次試験では、善戦しつつもまだ合格圏に達していません。一方で、マークシート試験ならば満点はとれるわけです」  これまでも新しい技術の出現によって古い技術が全く不要になってしまうことはありました。しかし、記述式の導入の件は、「技術・技能」ではなく「学問」に関することなので同じようにはなりません。それは、たとえAIでできることであっても学習しなければならないことが多くあるからです。  学問の場合は、基本的なことを積み上げていく要素があるので、AIでもできることを習得しないと、その先のAIではできないことまでを見通せないこともあるのです。  また、学校現場では「マークシートで問える能力」だけを教えているわけではありませんし、受験生もマークシート方式の試験を受けてすぐに社会に出るわけではありません。受験生は、共通テストを受けた後、大学に入り、そこで様々なことを学んだ上で社会に出ていきますので、その中間にある共通テストがマークシートであることで「失業者の養成」と述べるのは誇張が入っています。  なお、2019年時点では、東ロボ君は少しずつ成績をあげてきましたが、まだどの教科も満点をとったことはないようです。 ◆5:これまでの大学入試改革で、「国立大はすべて二次試験を記述式にする。これで国立大学はこれまで4割だった記述式試験の割合が9割にまで上がった」  少し発言を補いますと、「国立大学のすべての二次試験を記述式にすることを目指してきた。その結果、記述式の試験を出題する大学は9割にまで上がった。」ということを言いたいのだと思います。伝わりにくいのは、発言を伝えた人にも原因があるかもしれません。さて、そうであるにしてもこの話はざっくりとして、どの教科であるかに触れられていないので、何とも言い難いものがあります。数学に関しては、これは大きく誤った情報ですし、この言い方では、「すべての国立大学のすべての問題を記述式にする」のか「記述式の問題も出題する国立大学をすべてにする」のか判別がつきません。 ◆6:早慶は独自に記述式試験を実施する体制も能力もある。しかし、他は難しく、このままだと他の私大を受ける受験生は、マークシート向けの受験勉強をすることになる。だから、私大も利用する共通テストに記述式を導入しようとしたのです」  数学については、早稲田大学と慶応大学以外にも一部記述式の問題を出題しています大学が多くあります。また、数学の場合は、答が自力で出せなければマークもできないことが多いので、「マークシート向けの受験勉強」というのもおかしな話です。

新しい検討会議の委員の発言を見守っていくべき

 以上のように発言の一部ですが、細かく検証してみました。このように、国としての設計であるのに、一般の方の見えないところで雑な議論あるいは雑な認識のまま進めてきたのが今回の入試改革の失敗の要因になったのです。もちろん、入試改革の設計者には、細かすぎることにはとらわれないグランドデザインが必要なことは理解できるのですが、新しい設計者がこれまでのように、個人の思い込みによる不正確な認識、実現性の考慮をしないこと、数値を都合の良い部分だけを取り出した説得を続けるようでは、同じことが繰り返されるだけなので注意が必要です。  新しい検討会議の委員の発言については、私たちはこのような点に注意して見守っていくべきと考えます。 <文/清史弘>
せいふみひろ●Twitter ID:@f_sei。数学教育研究所代表取締役・認定NPO法人数理の翼顧問・予備校講師・作曲家。小学校、中学校、高校、大学、塾、予備校で教壇に立った経験をもつ数学教育の研究者。著書は30冊以上に及ぶ受験参考書と数学小説「数学の幸せ物語(前編・後編)」(現代数学社) 、数学雑誌「数学の翼」(数学教育研究所) 等。 
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