宿舎でともに暮らす現地人の学生は「同宿生」と呼ばれる
そのほかにも、外交官や非政府機関職員たちは平壌の文繍洞外交団村という特別地域で暮らすが、留学生たちは
大学近辺の留学生用宿舎で生活をする。そこでは、「
同宿生」という
現地人の学生たちと同じ建物で暮らし、あるときはルームメイトにもなりうる。
私は金日成総合大学の最初の学期に、同大学の外国語文学部英語文学科に所属する20歳程度の現地人学生と同じ部屋で暮らした。
一方、留学生たちは授業を受ける過程で、現地の教員たちとさまざまな接触をすることになる。もちろん留学生は
現地の学生と同じ講義を聞くことはできず(実際に同宿生を除くと、現地人の学生と話すあえて話す機会はない)、同じ教室を使うこともない。
それにもかかわらず留学生たちはさまざまな科目を習い、教員と接する中で体制の公式的な立場を学べるだけではなく、親睦も深めることができる。
以上の理由から、在北留学生は他の外国人集団に比べ北朝鮮社会に近く、現地人と多様かつ深い交流ができる。留学生の文化的イメージにもそれが反映されており、寄宿舎のロビーに掲げられた写真や教科書の文章によると「
首領様の恩徳」によって暮らしていることになっている。
しかしどこまでも留学生は、極端な外国人フォビアにかかっている北朝鮮体制の中にいる異邦人である。留学生は全ての外国人と同じく、
一般住民の家を訪問することはできず、彼らに電話することもできない(北朝鮮のキャリアである高麗リンクの電話番号は他のシステムに隔離され外国人同士でのみ通話可能となっている)。
留学生たちも他の外国人と同じく、
自分たちを直接担当する現地人以外は接触できない。レストランや商店でお金のやり取りをするときだけだ。現地人も外国人に対しては、あからさまに苦手意識を向けてきたり、恐怖心を間接的に表す。彼らもまた監視されている以上、そのような態度になるのはやむを得ないことであり、私は彼らを責める代わりに体制を責めるしかない。
また、直接説明されはしないが、監視は前出の同宿生たちの明らかな任務でもある。同宿生たちは我々だけでなく、互いをも監視し合っている。彼らも留学生と交流するたびに厳格な
「対外事業」の儀礼にのっとる必要があり、対話を深める代わりに大げさな体制の宣伝を繰り返すのである。
いずれにしろ、
現地人の友人を作ることは事実上、不可能に近い。それでも我々留学生は
同宿生、そして宿舎の外にいる人々の中に人間性を発見することもあり、彼らもまた我々に時折、心を開くことがあった。彼らは我々に親切心や好奇心を向け、「朝鮮」に来た我々を歓迎し真心を込めて手助けしてくれた。それが、私の留学生生活において最も幸福で意義ある瞬間であった。
次回は寄宿舎生活、金日成総合大学の授業、課外活動で得た興味深いエピソードを通じて、北朝鮮の実像に迫る扉を開けようと思う。
<文・写真/アレック・シグリー>