世界に「分断」が生まれる背景とは――『分断を生むエジソン』著者の北野唯我氏に聞く
経営を通して世界を見る
――同時期に出される『オープネス』について、『エジソン』と絡めてお話いただけますか。
『オープネス』は2019年の自分が、『エジソン』は32歳の自分がいちばん書きたいものでした。日本に求められているものを一言で言うならば、開放性であるという確信があったんです。トヨタがハイブリッド(HV)などさまざまな技術の特許を無償で提供したこともそうですし、#MeTooに代表されるように、さまざまな業界で女性が声を上げるようになったこともそうです。
これまでの日本の経営は、「鎖国的」でした。大きくは情報を隠していたということですね。限られた空間だけで情報を握って、それによって優位に立つ人と、苦しい状況に立たされる人がいる。LINEグループの中でハブって、あいつには教えないというような、中学校のいじめとも重なる部分はあると思います。そうした抑圧への反動として、情報を開放させたいという欲求、また旧態依然とした体制の中で抑えられてきた、自分自身を解放させたいという欲求が強くなっている。
今お話ししたのは経営のフィールドですけど、文化などでも同じことが言えると思います。たとえば、レディー・ガガ。彼女の曲は解放をうたったものが多い。「ありのままに」というワードが話題になった、映画『アナと雪の女王』もそうですね。文化とは大衆の声を吸いあげるものですから、みんなどこかしら解放されたいという感覚があるのではと。
こうしたことは僕以外の人も考えてるでしょうし、そういう意味では僕じゃなくても『オープネス』は書けたでしょうけど、『エジソン』は32歳の僕だから書けたものだと思っています。
――20代の北野さんと、30代の北野さんでは何が違うと思われますか。
20代は生意気でした。今もそうですけど(笑)。ただ、「愛情」についてより視野が開けたことは大きいと思います。『エジソン』の中に書きましたけど、誰もが根底には、他者から与えられた愛情があって、ただ、そのことに気づくタイミングが違うだけだと気づきました。
まったく愛情を受けなければ、生きてはいけない。量の差はあるとしても、みんな愛情を受けている。そのことに、ある人は青年期に気づくし、ある人は死の直前になって気づくでしょう。20代の頃は、自分の根底に愛情が流れているということにも気づきませんでした。もちろん、単純な知識量の差もありますけど、それが一番ですね。
――それは作中にもあった、「弱さを知るリーダー」という言葉ともつながりますね。
「弱さ」とは言いかえれば、自己完結ができないということです。すべてのものがひとりだけで完結できると、自信満々の男性はよく思う気がしますが、そうではなく、他者のつながりの中で生きていると理解することが必要なんですね。
釜ヶ崎で知った「自分の生き方」
1990年生まれ。映画批評/ライター。ドキュメンタリーマガジン「neoneo」編集委員。「DANRO」「週刊現代」「週刊朝日」「ヱクリヲ」「STUDIO VOICE」などに執筆。批評やクリエイターへのインタビューを中心に行うかたわら、東京ドキュメンタリー映画祭の運営にも参画する。
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