では、「参加したくない」人の意見も見ていこう。
「忘年会とうたっているが、実際は社長や上司が今年1年の社内の振り返りや問題点をずっとしゃべっているだけで、こちらの話を聞こうとしないし、話したい他の方々とはほぼ話せないため」(44歳男性)
「社長が酔うとキレやすいので皆ビクビクしながらの飲み会になり疲れる」(23歳女性)
「一緒に参加する会社の所長やその奥様、上司や先輩などに気を遣って疲れるからです。料理やお酒が運ばれてきた時に取り分けたりお酒を注いだりするなど、ずっと気を張って気が利かないと思われないように立ち回らなければならないからです」(38歳女性)
忘年会の醍醐味とは、やはり無礼講にあるのかもしれない。しかしながら、無礼講とは「無礼を働いてもおとがめなし」という意味ではない。もちろんそれは年下の人間に限ったことではなく、年長者においてもそうである。お互いがいい意味で交流できた時に限って、忘年会はやってよかったといえるはずである。とはいえ、必ずしもそうではないことが、「参加したくない」人の7割という数字に表れている。
さらに会社の忘年会を欠席するときの言い訳を聞いた。すると、
「ひぃおじいちゃんが危篤。至急田舎へ行く」(20歳女性)、
「子どもの体調が悪くなった」(26歳女性)と家族や親戚をダシに使う人が多かった。
他にも、
「数日前から体調が優れないことをそれとなくアピールし、当日『熱がある』『風邪です』と会社を休みます」(31歳・女性)、
「遠恋の彼が突然うちに来てしまったので、すみませんが欠席します」(40歳・女性)といった言い訳が寄せられた。
結論として、忘年会は必ずしも捨てたもんじゃないが、悪い意味で無礼講となってしまうことの方が多い、ということである。であれば、忘年会は存続させつつ、参加については自由、という形が一番いいのではないだろうか。
まだまだ「参加しろ」という同調圧力はあるかもしれないが、最近では「忘年会スルー」という特集がNHKの『ニュースウォッチ9』で組まれるなど、新たな動きも出てきている。令和元年は、「忘年会スルー元年」として記憶に刻まれるのだろうか……。新しい時代での、忘年会のあり方が問われている。
<文/田中宏明>