北朝鮮は私が生まれ育ったオーストラリアとはあらゆる面で正反対だ。北朝鮮は厳格な規律と同一性に基づかれた要塞で、共産主義を実現する「単一民族」社会である。
一方、オーストラリアは資本主義と自由主義を標榜する移民国家であり、多様なアイデンティティと生活方式が認められている。そのため北朝鮮と北朝鮮の人々は徹底的に異なるはずだが、私は彼と出会ったとき、文化と政治の違いを超え、我々と同じ人間性を感じたのだった。
私はその後、旅客として10回以上訪朝し、北朝鮮に関するあらゆる本を読んだ。北朝鮮国営旅行社と提携し、北朝鮮専門旅行社を立ち上げもした。そうするうちに徹底的な「北朝鮮オタク」となった私は、北朝鮮の否定的な側面を知りつつも一方でその風景や食べ物、人々に対する愛情と好意を育んだのだった。
そうして韓国・ソウルで韓国語を習得し、ついに2018年、北朝鮮の最高学府である金日成総合大学に入学するに至った。博士課程で現代北朝鮮小説文学を専攻し、北朝鮮に長期留学した稀有な経歴を持つ西洋人の一人となる……はずだった。
しかし2019年6月25日(59年前に朝鮮戦争が始まった日でもある)、人生のターニングポイントは突如として訪れた。私は金日成総合大学近くにある留学生寮で北朝鮮の秘密警察である国家保衛省のメンバーとおぼしき人々に拉致・拘束され、尋問施設で9日間に及ぶ「調査」を受けた。
私は2番目の故郷であるとさえ思っていた平壌で、すでに3度目の学期を終えていた。学業成績も良く、教授たちとの関係も良好で、北朝鮮文学の研究活動に没頭し学生生活を謳歌していた。授業の後は留学生らで連れ立って平壌の美味しいレストランを巡ったり、興味深い商品を収集するなどしていた。それは人生で最も楽しく、充実した時期の一つだった。
もちろん、それに比べて尋問施設にいた期間は楽しくはなかった。私としては潔白であったが、当局は私に偽りの罪を報告させ、延々と「反省文」を書かせることにより彼らなりの“教訓”を与えようとした。しかし虚構の”証拠”と”犯罪”、歪んだ法的論理で構成された反省文を強制することで彼らが私に教え込んだのは、北朝鮮の法制度の虚偽性であった。
私は外界と完全に遮断され、いつ釈放されるかもわからなかったが、その間に予想もしないことが起きていた。私の逮捕はすぐに明るみになり、オーストラリア首相が国会議事堂で私の名に言及していたというのだ。そして9日後の7月4日、平壌でオーストラリアの領事業務を代行するスウェーデン外務省の介入により私は釈放され、それは国際的なニュースとなった。
私が国家保衛省で反省文を書いた後、筆を取ったのはこのサイトが初めてである。読者が私に関心を寄せる限り、私は北朝鮮について書くことを決心している。
実際、北朝鮮について書くことはあらゆる面で、複雑で難しい。平壌に長期滞在してあらゆる経験をしたが、やはり外国人の視点からはすべてを見ることはできなかったように思う。
北朝鮮とは、そうたやすく単純化して語れる客体ではない。北朝鮮は非常に独特な政治状況にもかかわらず、そこでは人が生活しており、人々は歴史の大河の中で変化している。北朝鮮政府の行う宣伝と他国の型にはまった報道のはざまで、人々の存在はたやすく見落とされてしまう。だからこそ私はこの連載で、自分が見た北朝鮮の人々の人間性について伝えたいと思う。
次回は、北朝鮮にいる留学生事情について紹介するつもりだ。
北朝鮮にいる留学生は現在、約200人である。彼らが、なぜ特別と言えるのか? 次回は、彼らがどの国から来て、なぜ北朝鮮での留学を選んだのか。そしてどこに住み、現地人とどのように付き合っているのかなどを、自身の経験から綴っていきたい。
<文/Alek Sigley(アレック・シグリー)>