桜を見る会問題が長引く原因になった出来事は、4つある。
1つ目は、
11月8日参議院予算委員会での安倍首相の答弁だ。「桜を見る会の参加者が毎年増加しているのは、安倍首相や与党議員の後援会の支援者を呼んでいるからでは?」と共産党の田村智子議員に追求されると、安倍首相は
「お答えを差し控える」を連発するとともに、「私は、主催者としての挨拶や招待者の接遇は行うのでありますが、
招待者の取りまとめ等には関与していないわけであります」と発言した。
しかしその後の報道で、「桜を見る会」が組み込まれた観光ツアーへの参加を、
安倍晋三首相事務所の名義で地元の有権者へ案内する文書が明らかになるなど、8日の
首相の答弁と相反する事実が次々に明るみになった。
その結果
11月20日の参議院本会議で、安倍首相は「(招待者選定について)私の事務所が内閣官房の推薦依頼を受け、参加希望者を募ってきた。
私自身も事務所から相談を受ければ意見を言うこともあった」と自らの関与を認めた。
8日に答弁で安倍首相が、虚偽の答弁をせずに最初から関与を認めていれば、その間の安倍首相による関与を証明する審議もいらず、大幅に時間を省略できたはずだ。
2つ目は、「首相枠、政治枠」の存在を隠すために、
安倍政権で要職につく議員たちが行なった不誠実な答弁の数々だ。例えば
萩生田光一文科相は、11月13日の文部科学委員会で桜を見る会に自身の後援会の人間が出席していたことについて追求されると「私が主体的に呼ぶということは仕組み上できませんので、
私がお招きした事実はございません」と発言。同日午前の会見で、菅官房長官も「
首相枠、政治枠という特別なものはありません」と発言。
しかし同日午後の会見で、
午前から一転し菅官房長官は、政治家への推薦依頼を認めた。
またしても、政権メンバーの
国会を軽視した不誠実な答弁により、貴重な審議時間が無駄に使われた。これまでに多くの嘘をついてきたため、現在の安倍政権は嘘をつくことに抵抗を感じなくなってしまったのかもしれない。
3つ目は、
公文書である招待者名簿を廃棄したことだ。確かに名簿は、内閣府において保存1年未満の文書だった。しかし、
共産党議員からの資料要求の1時間後に廃棄処分を開始したのはあまりにも不自然で情報隠蔽だと疑われても仕方がない。
さらに情報隠蔽だと批判を受けると、12月2日の参議院本会議で安倍首相は「
シュレッダーの空き状況や、担当である障害者雇用の短時間勤務職員の勤務時間などとの調整を行った結果、使用予定日が5月9日となった」と答弁したが、
わざわざ障害者の職員と公表する必要はないし、責任をその職員に押し付けていると多くの批判が噴出した。
名簿の文書と電子データを廃棄したために、
ジャパンライフの元社長や反社会的勢力などを誰がどのような経緯で招待したのかわからないままだ。
4つ目は、
与党が首相出席の集中審議の開催を拒否したことだ。安倍首相は15日に記者団へ対し、野党が求める予算委員会の集中審議について「国会から求められれば、出て行って説明するのは当然のことだ」と力強く語っていたが、26日の与野党協議で、
与党が首相出席の集中審議の開催を拒否したため実現しなかった。
首相が国会の場から逃げ回ったために、この問題へ対する十分な追求及び検証はされることがなく、国会は閉会された。
上記のように、第200回国会を振り返ってみると、
桜を見る会問題を長引かせたのは、安倍首相を筆頭にした現政権の面々だったことがわかる。
本記事の検証によって
、桜を見る会問題へ対する現政権のあまりに酷すぎる対応の数々が浮かび上がってきた。
首相や大臣は、国民のためではなく
自身や自身の仲間のために保身へ走り、それのためならば国会や記者会見の場でさえ平気で嘘をつく。
こんな彼らを「長期政権の驕り緩み」と評する人がいるが、私は同意できない。
現政権の不誠実な対応は、長期政権故に生まれた驕りなどではなく、
むしろ彼らはこれを生業とし長期政権を築いてきた。モリカケ問題や南スーダン・イラク日報の隠蔽、統計データの改ざんなどなど、である。
そのため現在では、嘘をつくことや保身に走ることへ感覚が麻痺し、平気で国民を欺く。そして、不祥事が起きても反省や改善も見られない。最早、
自民党内部に自浄作用を期待することもできないことは明らかだ。
<文/日下部智海>