「およそ7か月前、日本はかの国の歴史上、最も恐ろしい悲劇のひとつを経験した。日本はいまだに地震と津波による被害から復興している途中だ。福島の原発事故は原子力が安全でクリーンだという神話を破壊した。
それでも、同国は事故から大事な教訓を学べなかったようだ。日本はまたも
原子力をCDM(クリーン開発メカニズム)に加えるという選択肢を捨てることを拒否した。また、インドもこれを支持した。つまり、
日本は自国に多大な被害をもたらした技術を発展途上国に輸出し、収益をあげようとしているということだ」(2011年)
「日本は
環境対策を強化するべきためのお金を発展途上国、特にインドネシアの石炭とガス発電所へ投資したことで、『本日の化石賞』を受賞した。気候変動の根元に気候変動ファイナンスを使うのには悪臭がする」(2014年)
「日本が汚い石炭政策を続けるなら、次々化石賞が舞い込むだろう。
日本は汚い石炭ではなく、再生可能エネルギーに投資するべきだ」(2015年)
「日本はパリ協定を実行すると言っている。本当に? 日本はアメリカ政府とともに原子力と石炭火力を促進しようとしている。これは発展途上国で再生可能エネルギーを広めようという動きを妨げるものだ。
日本は時代錯誤の石炭・原子力政策を変えるべきだ」(2017年)
こういった受賞理由を見て「環境団体の言いがかりだ」と拒否反応を示してしまう読者もいるかもしれない。しかし、当たり前だが受賞しているのは日本だけではない。アメリカやカナダ、さらには気候変動対策に積極的な印象のある北欧諸国さえも受賞しているのが現実だ。
同賞は単に皮肉を込めてダメ出ししているだけではなく、経済規模や国際的な発信力も加味したうえで、
期待されている役割を満たしてほしいと発破をかける側面も強いのだ。
それだけに、その
趣旨を理解せずに堂々と受賞を誇ってしまうのは、環境問題に対しての意識がまるでないと言っているようなものだ。本来、牽引する立場を期待されているのに、その土俵から自ら降りてしまう行為にほかならない。
石炭火力発電については口をつぐみながら、皮肉の込められた賞にトンチンカンなコメントを発してしまった小泉環境相。残念ながら、その姿は世界から求められている“セクシー”な姿には程遠い……。
<文/林泰人>