「障害」で括られない人たちを描きたい。「種をまく人」竹内洋介監督〈新連載・映画を通して「社会」を切り取る〉
「障害」とは何か、改めて考えさせられた
そもそも「普通」とは何か
――第1作の「せぐつ」は背中にこぶを持つせむし男が登場し、2作目の「勝子」も心臓病を患う人物が登場しますね。
竹内:どの作品もコンプレックスがテーマになっています。デヴィット・リンチ監督の「エレファントマン」など、コンプレックスを持っているがゆえに他人とスムーズにコミュニケーションできない人になぜか惹かれるところがありました。自分にも通ずるところがあるので、そうした人たちの苦悩を描くことで自分自身の精神を保とうとしていたのかもしれません。
――普通でないものを通して「普通の社会」に対して問いたいという気持ちがあるのでしょうか?
竹内:そもそも「普通」とは何かということですよね。人間はみんな違うので「普通」の定義を変えることで「障害」も変わってきます。そういう意味ではみんな障害を持っていますが、それについて考えようとはせず社会は明確な振り分けをしようとします。自分は「普通」の人間だと思うことで自分を守りたいのかもしれません。
――確かに。
竹内:人間はみんな違って当然なのに「普通」や「正常」などの区別をつけようとする。だから、苦しみの中にいる人や、うまく生きていけない人は「普通」になりたいと願うようになってしまい苦しみから逃れられない状態に陥ってしまいます。
大人になるうちに「普通」とそれ以外を分けたがる人がたくさんいるということに気付きました。「障害」という言葉は医師が付けたものですが、その境目にあるものを本作で感じたり考えたりして欲しかったのです。苦しんでいたり、生きづらいと思っていても、「普通」の人が生きるように、そのままの自分で生きたいと思っている人がいるんですね。
――事件を起こしてしまった知恵と母親の関係性も描かれます。
竹内:親が子どもに無意識に与える影響を描きたかったんです。子どもが可愛いと思いながらも、イライラしているとつい子どもに厳しいことを言ったり、当たってしまうことはありますよね。
本作の母親・葉子はダウン症の妹・一希に時間や手間をかけざるを得ない状態にありますが、手が掛かる分、姉の知恵より無意識のうちに可愛く思えてしまうのかもしれません。一方、知恵は自分が一希よりも可愛がられていないのではと感じてしまう気持ちが、やはり無意識のうちに育っていくのかもしれない。未だに多くの家庭で母親に育児負担がかかってしまっている日本社会の問題の一つなのではないかと感じています。
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