「新規事業」を成功させる環境とは?HMD分野に新たに挑戦するエプソン津田敦也氏に聞く

 ヒット商品は意外なところから生まれることがある。カメラで有名な富士フイルムは化粧水など美容品でも確固たるブランドとなり、掃除機のダイソンは扇風機、空気清浄機と商品カテゴリーを広めている。自動車業界では、ホンダがロボット(ASIMO)を発表し、世の中に衝撃を与えた。
MOVERIO

エプソンのHMD「MOVERIO」(写真右はプロトタイプ)

 ほかにも、基幹技術の応用、組み合わせによって新たな商品に挑戦する企業は少なくない。2011年に、目前に投写される仮想巨大ディスプレイで映画やゲームを楽しめる「ヘッドマウントディスプレイ」(HMD)の領域に打って出たエプソンもまた、自社の基幹技術を応用して新たなジャンルに挑戦するプレイヤーだ。  同社が開発した「MOVERIO BT-200」は、スマートグラスとも呼ばれ、通常のメガネのように周囲の風景を見ながら目の前に投写される仮想「大画面」を楽しめるという、『スタートレック』のラフォージ少佐や『ロボコップ』をイメージさせる製品だ。  エプソンといえば、プロジェクターやプリンターのイメージが強いが、なぜヘッドマウントディスプレイという新規事業に参入し、ユニークな製品を生み出したのか? 開発責任者の津田敦也氏(セイコーエプソンHMD事業推進部長)に話を聞いた。 ――プリンターやプロジェクターでトップシェアを誇るエプソンが、なぜHMD市場に打って出たのでしょうか?
津田敦也氏(セイコーエプソンHMD事業推進部長)

津田敦也氏(セイコーエプソンHMD事業推進部長)

「エプソンは、省・小・精の技術を基盤とした「プリンティング―マイクロピエゾ技術」、「ビジュアルコミュニケーション―マイクロディスプレイ技術」、「生活の質向上―センシング技術」、「ものづくり革新―ロボティクス」という4つの領域-コア技術を極めることで、お客様の期待を超える製品・サービスを提供しようという長期ビジョンを掲げています。このMOVERIOも、その一環として開発されました。  というのも、HMD自体は20年前位からあるものです。しかし、なかなか普及していないのはなぜなのか? 重さの問題や、映像をみるには不向きな単眼だったり……エプソンが参入するのであれば、誰でも簡単に扱えて、持ち出せて、両眼で見られる、を差別化要因として、エプソンの既存技術の組み合わせで何かできないかというところから企画が始まっています。プロジェクターで培ったマイクロディスプレイ技術や、光学設計・製造技術、センシング領域のセンサーを活用して新しい価値を提供できるのではと考え、開発を進めてきました。  光学設計技術については、映像を正面のハーフミラーに投影するための導光板の設計に役立ちました。また、開発の過程でスマートフォンやタブレットの普及、モバイル通信の高速化など、環境の変化があったため、Android搭載にして内蔵の加速度センサーやジャイロなどを活用したアプリを利用できるようにするなど、生活の中で関連する環境の変化に注目して進化させていきました」 ――エプソン初のHMD開発チームは、どのような雰囲気だったのですか? 津田敦也氏(セイコーエプソンHMD事業推進部長)「開発にあたっては、どうしても既存のものにとらわれてしまいがちですが、私たちのチームはゼロからのスタートだったので、かなり自由にやらせてもらいました。社内に実績がない商品なので、否定する人もいなければ肯定もしてくれない。自分たちで判断してお客様に真摯に向き合って開発していきました」 ――何が正解かわからないというのは、若手技術者にとっては厳しい環境とも思えます。 「新規事業領域は、既存事業よりもはるかに自由で、年功序列なく思ったことを言える環境でないと伸びません。そういう意味では、自分のビジョンや意見を持ち、それを表明できるメンタルが強い人間じゃないと耐えられないかもしれませんね。どうやってビジョンを持つか。そのためには、技術者も常に実証実験の現場に出向き、その商品にニーズがあるのか、どう機能するのか、肌で感じて目で見てくるようにしています。そういう取り組みを繰り返すことで、技術者の成長が早まるという面もあるんです」  実証実験はさまざまな分野で行われた。  例えば、2012年に、ウエアラブル・コンピュータ研究の第一人者である神戸大学の塚本昌彦教授、システム開発のナノコネクトと共同して行った実験では、ペーパークラフトの作り方動画をMOVERIOに配信し、手元の実作業と見比べながら作業することで効率的な作業を可能にできるという結果を得ている。また、同実験に参加した学生からは、電車移動中やソファーやベッドで隙間学習出来るのが良いという教育側面のメリットを挙げる意見も聞かれている。ちなみに、塚本教授はその後、MOVERIOを装着してジョギングする姿をツイートしているほどだ。  産業面では、2013年にトーヨーカネツソリューションズ・国際航業・キングジムと共同し、物流ソリューションにおけるMOVERIOを利用したARナビゲーションの活用の実証実験を行った。同実験では倉庫や物流センターなどの物流施設において、作業者がMOVERIOを装着することで、作業者の位置や見ている方向、ARマーカーラベルとの組み合わせで正確で安全なピッキングや仕分け作業が可能になった。  また、2014年には新国立劇場におけるイタリア語・ドイツ語のオペラ公演で、リアルタイムに字幕や解説をシースルー表示する実証実験では、長時間装着による負担や、字幕表示部分とグラス部分の明度差などに関する改善意見がいくつか見られたものの、大多数の実験参加者からは、舞台袖の電光掲示板の日本語字幕表示に視線を移す煩わしさがなく、集中してオペラ上演を楽しむことができたと、高評価が得られた。  こうした実証実験に技術者が出向き、上下関係なく意見を活発に交換する環境が、新規分野でユニークな製品をつくり出したのだ。  そして、こんなチームの雰囲気を表しているアニメーションがある。エプソンのコア技術を紹介するこのアニメーションでは、『攻殻機動隊S.A.C』のサイトー役などで知られる大川透氏が津田部長役を演じているのだが、若手技術者とフランクに話す雰囲気はまさしく本人そのもの。 ⇒【動画】コアテクノロジー・アニメーション「あたかもそこにある!」篇 http://www.youtube.com/watch?v=enN-eYfCJ7Q http://www.youtube.com/watch?v=enN-eYfCJ7Q  技術に関しては世界でもトップレベルにある日本の製造業だが、現在は「ガラパゴス」などと揶揄され、遅れを取っているのもまた事実。しかし、そんな中、技術者たちが自由な雰囲気の中、フルに自社の技術を活用して新規ジャンルにチャレンジできる土壌を揃えている企業も確実に存在するのだ。日本の製造業が「ガラパゴス」を脱して、再び世界を席巻する日もそう遠くないかもしれない。 <取材・文/林健太 撮影/我妻慶一>
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