自宅で作曲をする倉橋さん
街中が竹灯籠に柔らかく照らされる大分県竹田市の祭り「竹楽」で11月、シンガーソングライターを目指す地元高校3年生の
倉橋華那さん(18歳)がステージに上がった。小4の時に全身に潰瘍が繰り返しできる国指定の難病「ベーチェット病」になり、病気と戦いながら生きてきた自分の半生を歌詞に込めた。曲名は「Don’t stop living」。
<湿布ばかりの女子力のない足を必死に隠しました。痛くても普通に見られるように歯くいしばって歩きました。どうしても食べたかった給食も全部口が拒んだ。なりたくてなった訳じゃない。苦しい鮮やかな現実(中略)大きな愚痴を吐くよりも心で分かり合いたい>
力強い歌声で歌いきった。約40人の観衆から拍手が送られ、その中には「感動した」と涙を流す友人もいた。
倉橋さんが発病したのは小4の時。
「口内炎が収まらなくなり、食事がまともに取れなくなりました。でも原因は分からず、医者に言われたのは『口の中を清潔にしなさい』。その時は本当にガリガリでした。栄養失調で、病院で点滴を受けることもあるくらいでした。
給食のご飯が口内炎で食べられないので、おかゆを持参していました。同級生には病気のことを明かしていなかったので、変な目で見られることもありました」(倉橋さん)
竹楽のステージで熱唱する倉橋さん
中1の時には腸に潰瘍ができ、1か月家で寝込むこともあったという。また、小6の時に両親が離婚。母親と妹が家を離れた。「
病気のつらさと、不安で押しつぶされそうだった」と倉橋さんは当時を振り返る。
「そんな時、ベッドで聞いていた
サカナクションの曲が私の支えになってくれました。『夜の踊り子』は何百回も聞きました。つらくて、くやしくて、情けなかったけど、きっと乗り越えられると考えるきっかけになりました」
中2の時にやっと病気の正体が、全国で約1万8000人しか患者のいない難病「
ベーチェット病」だと判明する。全身の臓器に炎症性の発作を繰り返す慢性疾患で原因は不明。治療法も確立されていない。国内の患者数は約2万人で、「シルクロード病」とも呼ばれる。完治はしないが、投薬で症状は改善してきた。
高1の時、父親が大学生の頃に使っていたギターを押し入れで見つける。大分市内の音楽教室に通い、
高3からは自作の曲を動画投稿サイトに投稿するようになった。
倉橋さんは来年、都内の音楽専門学校に進学して、プロを目指すという。
「病気になったことを悔やんではいません。つらい思いをしたからこそ、他人の痛みも理解できるようになったと思います。自分のしたいことができることを伝えるシンガーソングライターになります」(同)
<文・写真/豊後泉>