イスラムや人権思想を敵視するドイツの新右翼はなぜ躍進したのか<書評『ドイツの新右翼』>

新右翼の「神話」――「夕べの国」と「大圏域」

「夕べの国」とは、ユーラシア大陸の反対側の日本が「日の出ずる国」と表されるようなもので、ヨーロッパのことを指す。しかし「日の出ずる国」と同様、「夕べの国」というフレーズには、当地の人々にとって何かエモーショナルな感情を掻き立てるものがある。それはドイツの民族主義にとって「我々の場所」のことなのだ。だが、その具体的な理念は、時代によってその都度異なっており、正反対の意味でさえ用いられる。したがって、ヴァイスはこの言葉をむしろ「神話」として捉えている。しかし「神話」であるからこそ、「夕べの国」は右翼にとって強度の高い、外部に対する「闘争概念」となってしまった。  このあたりのヴァイスの議論は、彼が新右翼に影響を与えていると主張している、公法学者カール・シュミットの議論に、彼自身が影響を受けていることの証明であるかもしれない。シュミットは、政治思想史上の「神話」(ホッブズのリヴァイアサンや、ソレルのゼネストなど)の非合理的で形而上学的な力を、政治的なものの「闘争概念」として評価していたが、ヴァイスの「夕べの国」評価も、この系譜に属するといえるだろう。新右翼の民族主義的なアイデンティティは、詳細かつ一貫した定義ができるものではなく、「場所」の「神話」に根差した形態(ゲシュタルト)なのである。  さて、ドイツの新右翼にとって、「夕べの国」と並ぶもう一つの神話は、「ライヒ」概念である。「ライヒ」は「帝国」とも訳されるが、本書でこの訳が採用されない理由は訳者解説に詳しく書かれている。中世から近世にかけて存続した神聖ローマ帝国は「ライヒ」であったし、1871年から1945年までのドイツの国号も、1919年以降は共和制を敷いていたにも関わらず、一貫して「ライヒ」を用いていた。  この「ライヒ」も、右翼にとっては「我々の国」を思わせるエモーショナルな言葉なのだが、ヴァイスによれば、それを地政学的な「大圏域」思想と結びつけたのが、カール・シュミットである。シュミットの「大圏域」は、主導的な民族とそれに従う中小民族からなる共同体のことなのだが、この思想が新右翼によって現代的に受容されると、それはドイツの右翼のロシアへの接近という意外な効果をもたらした。これは東西冷戦時代には考えられないことであり、「夕べの国」の歴史的用法ではその敵対者は東方の勢力だったわけだが、壁が崩壊し、プーチンが政権を握ると、その権威主義体制にドイツの右翼は好感を持つようになる。一時プーチンのブレーンといわれていたアレクサンドル・ドゥーギンはカール・シュミットの読者であり、新右翼の人脈とも相互交流がある。東方の敵がいなくなった新右翼は、西方に敵を求める。すなわち、アメリカニズムに代表される普遍主義である。  このあたりの節も、日本の文脈と比較して興味深いところである。日本でもいわゆる「ネット右翼」は、プーチンのロシアと日本は外交問題を抱えているにも関わらず、韓国や中国のようには攻撃せず、むしろ好感を寄せている節があるからである。

「絶対的な敵」としてのリベラルな普遍主義

 ヴァイスによれば、新右翼にとって普遍主義は「絶対的な敵」である。カール・シュミットの『パルチザンの理論』をやや我田引水気味に引用して、ヴァイスは敵概念を二つに区別する。「現実の敵」および「絶対的な敵」だ。本来は、もうひとつの敵概念である「在来的な敵」も含めた三項でその異同をみていくのが『パルチザンの理論』の正統な読解だろう。しかし彼はおそらく「場所」に関わるか否かに着目して、敢えてこの二項対立に持ち込んでいる。「現実の敵」は「場所」によって規定され、「絶対的な敵」は「場所」によって規定されず、むしろそれを破壊する。 「現実の敵」とは実存に関わる敵であり、目の前にいるのでとりあえず戦って退けなければいけない敵のことだ。ドイツの新右翼にとってそれはイスラムになるが、先述した通りそれは「我々の場所」から追い出したり境界線を設けたりさえできればどうということはない(もちろん、右翼ではない者にとってみればそれは明確に排外主義である)。  一方、「絶対的な敵」は、必ず抹殺しなければいけない敵のことである。ドイツの新右翼にとってそれはリベラルな普遍主義のことだ。普遍主義は「我々の場所」という価値そのものを破壊してしまうので、新右翼の立場からすれば、民族の個別的なアイデンティティを守るため、「我々の形態(すがたかたち)」を保つためには、完全に排除する必要がある。したがって、右翼はリベラルな普遍主義に関わるもの全て、たとえば人権、ジェンダーの平等、ダイバーシティ、ポリコレ等々に反対するのだ。

新右翼にどのように対抗すべきか?

 以上のような議論をヴァイスは行ったうえで、ではこうした新右翼に対して、リベラルや左翼はどのように対抗すべきか?を最後の第9章で論じている。ヴァイスによれば、リベラルや左翼が新右翼と戦うときに大衆から支持を得られないのは、保守的なイスラムの性差別や人権侵害に対して、帝国主義者という批判を恐れるがあまり、はっきりとした態度を取れないことにあるという。むしろリベラルや左翼はイスラムに、そのような家父長制的な文化を保持してほしいのではないか?とまで彼は主張する。それを踏まえてヴァイスは、人権侵害には西欧のであれイスラムのであれ、はっきりNOを突き付けるような「単純な啓蒙の作業」を行うことを決断すべきだ、というのである。  筆者は、この結論に関してだけいえば、大いに疑問がある。ヴァイス自身がカール・シュミットの影響下にあるのではないかと先述したが、ここでもやはり彼はシュミット流の決断主義思考(決断によって共同体の統合を回復する)に囚われてはいないだろうか。むしろそのような決断を拒否することのうちに、リベラルや左翼である価値があるはずなのだ。いかにそれが明快さを欠くとしても。それに、仮にヴァイスの「単純な啓蒙の作業」を受け入れたとしても、それによってリベラルや左翼に支持が集まる保障はない。ヴァイスは右翼の地道な「陣地戦」を評価していたが、そうだとするならば、リベラルや左翼が一朝一夕に言説を変化させたところで、それは失敗すると考えるのが妥当ではないだろうか。  最後にやや苦言を呈することになってしまったが、それでも現在のドイツの新右翼について、その全体像を立体的に浮上させることを試みた本書は、読まれるべき一冊である。日本のネット右翼、あるいは保守文化人と清和自民党についての分析を、同じような手法、同じような水準で試みた著作は、管見の限りでは存在しない。その意味では、「日出ずる国」の我々にとっても示唆的であるに違いない。 <文/北守(藤崎剛人)>
ふじさきまさと●非常勤講師&ブロガー。ドイツ思想史/公法学。ブログ:過ぎ去ろうとしない過去 note:hokusyu Twitter ID:@hokusyu82
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