後藤富和弁護士
そこで後藤弁護士は、市民と弁護士が行っている地元の憲法学習会で制服や校則、PTA活動をめぐる疑問について語り、「教育を受ける権利」「表現の自由」「自己決定権」に関する啓発活動を続けている。そんな後藤さんに、校則をめぐる疑問をぶつけてみた。
―――校則の正当性には、法的根拠があるのですか?
後藤:明確な根拠は難しいと思います。強いてあげれば、結社の自由が憲法で認められているため、団体活動の維持にとって最低限必要な決まりは認められます。しかし、学校は任意の参加者が集まった結社ではなく、教員にとっては必ず行かなければならない組織であり、保護者にとっても学習の機会の一つとして行かせる必要があるため、
校則に法的根拠はほぼないと言っていいでしょう。
―――警固中学では、制服に関することが校則に明記されていたのでしょうか?
後藤:福岡市全体で標準服を準備するので、あとは校長の裁量次第でした。もっとも、これまで校長先生が裁量を発揮することはなく、校則に依拠した制服変更ではありません。標準服はあくまでも校長や自治体が希望する姿としての服なので、着ないで学校へ行ってもいいんです。
着る着ないを選ぶ権利は生徒にあるので、標準服を着ないからといって学ぶ権利が奪われることはあってはなりません。
―――警固中学で制服を見直す際、一番、大変だったことは?
後藤:保護者の同意は、大変ではありませんでした。一番大変だったのは、教師の理解。校長などの管理職より、現場教師の抵抗が強かった。新しい制服を導入すると、新しいデザインや、どう着せるかなどを考えることも手間です。教師にとっては新しい仕事が増えるわけで、その余裕がないように感じました。学校では働き方改革が進んでいません。
―――たとえば、高校の校則にあるアルバイト禁止などは、労働権を保障した憲法に対する違反であり、人権侵害をしているのでは?労働基準法には、親権者または後見人の同意書を得ていれば、あとは「修学に差し支えないことを証明する学校長の証明書」さえあれば就労できるとあります。
後藤:侵害していると思います。
全面禁止はかなり違反。アルバイトしないと進学費用もねん出できない経済的な事情をもつ家庭があるのに、本来なぜその決まりがあるのかに立ち上って考えず、校則の字面だけを守ろうとしているのは、おかしいです。
―――「不登校は親の育児放棄」と言う人もいますが、不登校は子どもの権利では?
後藤:権利ですよ! 学校以外で学ぶ権利を行使できれば、なじられる理由はありません。特に、
いじめによる不登校などは学校や行政自身の問題です。
―――生徒たちが学校と対等に交渉できる自治組織を認められないのはなぜ?
後藤:学校は決まりごとに従わせることを重視していて、生徒に考える機会を与えないでいます。生徒自身のことは、生徒会や生徒総会で校則を議論すべきですが、そういう機会すらないですね。
子どもと学校が対等に話す場がないんです。
これでは、大人になっても選挙に行く意味もわからないまま。そういう人が教師になっても、生徒の権利や自治を大事に考えることはないでしょう。私がPTA会長をしてる時、中学生に「生意気な中学生になれ。大人に意見を言える生徒になれ」と言いました。すると、それを聞いた中学生が意見を言ってきたので、彼らの求める通り、バンドやダンスを体育館でできるチャンスを作りました。楽しかったのか、あとから「(参加枠に)卒業生枠を作ってくれ」とまで言ってくれました。
本来あるべき姿は、
生徒総会や生徒会長の立候補の際に公約を掲げて実行していくこと。でも、その決定を学校が握りつぶす可能性があります。しかも、子どもの声を代弁するPTAはまれで、学校に言われるがまま活動しているPTAが多いのです。
<取材・文/今一生>
フリーライター&書籍編集者。
1997年、『日本一醜い親への手紙』3部作をCreate Media名義で企画・編集し、「アダルトチルドレン」ブームを牽引。1999年、被虐待児童とDV妻が経済的かつ合法的に自立できる本『完全家出マニュアル』を発表。そこで造語した「プチ家出」は流行語に。
その後、社会的課題をビジネスの手法で解決するソーシャルビジネスの取材を続け、2007年に東京大学で自主ゼミの講師に招かれる。2011年3月11日以後は、日本財団など全国各地でソーシャルデザインに関する講演を精力的に行う。
著書に、『よのなかを変える技術14歳からのソーシャルデザイン入門』(河出書房新社)など多数。最新刊は、『日本一醜い親への手紙そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO)。