一般的に「ポルノ」というと性的興奮を喚起させるようなエロティックな表現、として認識されているだろうが、
16~19世紀まで西欧諸国においてポルノグラフィとはもともとその当時の政治や教会、つまり権威体制を批判するツールだった。性をタブーとするキリスト教的な価値観のもとで性的に過激な描写を用いることは、反体制政治運動のシンボルであった、ということだ。
19世紀半ばから近代化によって大量出版技術によって出版文化が大衆化すると、それを国家が国民の治安やモラル維持のために統制し始めた。つまり、それ以前のポルノ=反体制政治運動のツールという構図は知的階級や特権階級のみに限られたことだったのだ。
逆説的に考えると、
「ポルノ」という言葉の定義は必ずしも絶対的なものではなく、その時や場所による政治や時代背景によって変化する、相対的なものなのである。江戸時代の日本の春画もこのように時代の流れの中でタブー視されていったのは
既に論じた。
そもそも、性興奮の対象とは人によって様々で、必ずしも推し量れるものではない。
「ポルノ」を考える時に性的興奮という要因を取り除いたら、それはこの映画祭のテーマの如く、セクシャリティやジェンダーの表象、ということなのではないのだろうか。それをエロティックだとか、猥褻だ、厭らしいと考えるのは私たちの経験論に基づいた価値観でしかなく、それは長い歴史の目で見た時に、とても流動的で不確かなものでしかない。
映画祭の一環に「
Porn meets Academia(ポルノと学術研究機関)」というパネルトークセッションがあった。ベルリン自由大学でポルノ・スタディーズの教鞭を執る
マディタ・ウーミン氏とクィア・ポルノ界のベテラン俳優
ジズ・リー氏の対談である。
リー氏はポルノ業界で従事する者への社会的偏見ゆえの難しさ、そしてウーミン氏はポルノも他のメディア文化同様に研究されるべきだ、と語る。産業としてのポルノとそれを支える言論の相互作用によって、私たちの取り巻く性表現はより豊かになるであろう。
今回のポルノ映画祭でわかったのは、ポルノ映画は人間のセクシュアリティを描くもので、それはもしかしたら一番人間の根本を描く媒体とも言っても過言ではないのかもしれない。
既存の権威的な価値基準に囚われずにポルノを作り続けり若きアーティスト、そしてそれを支援するポルノ映画祭、今後の展開に期待したい。いつか日本でも同様な映画祭が開催される日を夢見て。
【参考文献】
Williams, L. (1989). Hard core: power, pleasure, and the “frenzy of the visible”. Berkeley, University of California Press.
Williams, L. (2004). Porn studies. Durham, Duke University Press.
<取材・文/小高麻衣子>
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院人類学・社会学PhD在籍。ジェンダー・メディアという視点からポルノ・スタディーズを推進し、女性の性のあり方について考える若手研究者。