家屋にとって水や湿気が大敵であることに違いはないのだが、あらゆる建造物の建築風景を思い起こして欲しい。
大抵の建造物は建築途中で雨に振られ、基礎や柱などがずぶ濡れになっている。そこまで神経質になる必要はない。
それでもイメージ問題から民間不動産取引では罹災直後に値崩れが発生する可能性もあるだろう。とは言え、このような値動きもほどなくして落ち着きを取り戻すというのがこれまでの傾向だ。
・どうしてこの地域は住宅基礎が高めにとられているのだろう
・どうしてこんな場所に公園が設けられているのだろう
・どうしてこんな場所に学校があるのだろう
・どうしてこの地域は杭を打ち込む必要があるのだろう
基礎の高く取られている地域は冠水多発地帯である傾向、公園や学校には遊水地としての機能を担うケースも多く、杭打ちが必要な地域は言うまでもなく地盤に不安要素があったりする。
少し視野を広げ疑問を持ってみると、そこには罹災に対する備えがある。大抵の家屋や街づくりにはその土地々々に応じた、ある程度の罹災が考慮されている。
罹災直後には言葉もなく、山積みの難題を前に行動へと結びつかないほどの絶望感に襲われてしまうことだろう。それでも気持ちを切り替え罹災と向き合い、家屋の修繕や補修に精を出しながら、暮らしを再建していくより他ない。
人より少し多くの物件に関わり、思うところもある。
家を、単なる“モノ”として捉えない考え方をしてはどうだろう。
人生の大半をともに過ごす“大切な家族の一員”と捉え、補修跡や傷跡も“個性”として愛でてやる視点があっても良いのではないだろうか。
<文/ニポポ>