もともと官公庁での記者会見を取材できるのが原則として記者クラブ加盟社のみという問題があった。「記者会見オープン化」が叫ばれ、民主党政権時代には、官公庁ごとで違いはあったとは言え、多少は非加盟社やフリーランサーが取材できる範囲は広まった。
安倍政権になってからこれが後退したかどうかについては、現場取材を旨としており通常は記者会見の取材をしていない私は把握できていない。しかし官邸での菅義偉官房長官の記者会見をめぐって東京新聞・望月衣塑子記者への嫌がらせや質問妨害が取り沙汰されているように、記者クラブ加盟社の記者に対してすら公正とは言えない記者会見の例がある。
私も鈴木氏も、経産省による今回の私と鈴木氏への「永久出禁」通告を不当だと考えているし、当然、菅原経産相の会見を取材したい。しかしもっと重要なことがある。前述の経産省の一連の対応を思い返してほしい。
記者会見での質問内容を経産省側が事前検閲し、明確に取材拒否の理由のひとつとしている。そして経産省側は取材交渉を一方的に放棄して連絡を断った。大臣就任会見の取材拒否には「夜間のセキュリティ上の都合」という理由もあったが、後日の夜間ではない定例会見の取材についても許可しなかった。質問内容がネックであることは明らかだ。
私や鈴木氏に限らずほかのメディアやフリーランサーも、
大臣に都合が悪い質問を予定しているなら取材できないということだ。私たち2名に対してだけ問題なのではなく、
国民の知る権利や取材・報道の自由全般がまるごと踏みにじられている。
ましてや菅原経産相は今週発売の週刊文春によって「令和版疑惑のデパート」として複数の疑惑が取り沙汰され、それ以前から
「12の不祥事を持つ男」(9月27日文春オンライン)とまで言われてきた人物。私や鈴木氏が菅原経産相に質問したいのは、統一教会との関係や、その関連で取材申し入れに来ただけの私たちを虚偽告訴した問題についての菅原経産相の認識だ。それは私たちがカルト問題をメインに取材している者だからで、政策の問題や大臣としての適性など、菅原経産相の問題について取材者が質問すべきことは山ほどある。
オープンで公正な会見が行われていなければ、こうした具体的な局面で、疑惑まみれの大臣への取材すら強権的に阻まれる。今回の一件は、これが理屈上の話ではなく実際に起こっているという実例だ。
国民の知る権利との兼ね合いを言えば、私や鈴木氏という特定の個人だけが「国民の代表」なのではない。
記者クラブ加盟社、非加盟社、フリーランサーの全てのメディアやジャーナリストが全体として国民の知る権利に寄与する。単独で独自ネタを追う現場取材とは違い、複数メディアが一同に介しての記者会見は特に、その会見が全体として「国民の知る権利」に寄与できていれば最低限の役割は果たせる。それが会見を取材する報道機関やジャーナリストの仕事だろう。
ジャーナリストたちには、それぞれの問題意識から最も重要だと思うことを菅原経産相に質問してみてほしい。もし試みても阻まれるなら、その異常さを広く国民に伝えてほしい。
疑惑・不祥事まみれの大臣が、自らの疑惑をどう認識しているのか。あるいは、そんな大臣が国家権力ぐるみでいかにして護られているのか。それこそが、いま国民に知らせるべき最も重要な事柄だと思う。
菅原経産相の定例会見は毎週火曜日と金曜日。国会内で行われるため雑誌記者やフリーランサーがそもそも入れない会見も多いが、経産省内での会見も行われている。
一般紙などが加盟する記者クラブ「経済産業記者会」は事実上、会見を取り仕切る権限を持っていないようで、非加盟社やフリーランサーが会見取材を申し入れても経産省広報室に回される。
<取材・文・撮影/藤倉善郎>