要約すると、こういうことだ。
債務者は以前に自動車事故を起こしてしまったようだが、速度も出ていない事故であったため加害者として
「大したことはない」との認識を強く持っている。
対する被害者側はもちろん「大変な事故であり被害も大きい」との認識、そして実被害があるため、これまでに7回もの裁判を行っているという。
最後の裁判で加害者側(債務者)が数十万円を支払うことでの和解となったようだが、この“和解”にすら応じないために発生している強制競売だった。
「払ってやる義理はない」
もちろん義理で払うものではないのだが、どうやら今回も支払いに応じるつもりはないという。
強制競売に望みを託した被害者側には残念なお知らせとなるが、今回の強制競売もいくつかの理由から不成立となる可能性が高い。
「強制競売なんて面倒を起こされるくらいなら払ってしまおう」という精神状態に加害者側を追い込むことが出来ればよかったのだが、今回の加害者側がみせる強固な姿勢はこれだ。
高齢者から足を奪うことにもなる。一筋縄ではいかない問題
「絶対に払わない」
運転技術、認知や感覚の状況に問題のある高齢ドライバーの多くが、その危険性や及ぼす影響を把握できていない。輪ゴムが経年劣化で弾力性を失い硬化していくように、彼らの考え方もまた、不可逆的に柔軟性を失い硬化してしまっている。
「コミュニケーションで彼らの言動を上手に促す」
そんな性善説にも似た主張で狙い通りに動いてくれる高齢者は稀だ。
自活し、自信を持つ高齢者が一筋縄で行くかと言えばそうではない。かと言って高齢者から強制的に自活を取り上げる事例では、一気に老化が加速しそのまま要介護状態へと突き進むケースも多発している。
単純明快な回答の用意されていないこの問題とどのように向き合い、どのように社会的損失を最小限に食い止めていくべきか。
「高齢者」と「運転」を切り離すだけで全てが丸く収まるという考え方もまた、柔軟性を失っているのではないだろうか。