被災者でありながら、現地で支援活動を続ける石井隆子氏
本サイトでは、複数回にわたり台風被害に遭った千葉県館山市の様子を報じている。
【前回記事】⇒
台風被害の千葉県館山市、メディアが報じぬ「ブルーシートの下」の惨状
「我が家はここから車で20分くらいの南条というところにある二階建ての一軒家ですが、
二階の屋根の三分の一が損傷してしまいました」
そう語るのは自らが被災者でありながら「つながり」で支援活動を続ける石井隆子氏である。ホテルの一階で受け付け業務を担当している。
「うちの屋根はコロニアルですからまだマシなほうですが、
瓦葺きの家だと、長いところだと修復まで3~4年かかるという声もあるんです」
あのブルーシートというのは応急処置で、おそらくは二週間か一か月くらいすれば業者が屋根を修復できるものだと筆者も何の根拠もなく完全に誤解していた。
「館山には、
瓦屋さんが数軒しかないんですよ。数軒でこれだけの家を修復できるはずがないですよね。しかも、築40年、50年の家になるとそこの家と同じ瓦がもう製造されていないことも多いんですよ」
あらためて、石井氏に今何が一番欲しいか聞いてみた。
「一つは、
マイカセン(プロバンド)ですね。先ほど言ったように、これから年単位で土のうを結んでおかなければなりませんから、そのための丈夫なヒモということですね。
もう一つは、
紫外線に強い土のう袋ですね。普通の土のうだと、潮風などにやられて2~3か月しかもたないんですよ。UV土のう袋であれば一年はもつと言いますから、この袋はいくらでもほしいです」
続けて、石井家の被害状況について話してもらった。
「私たちの家は夫婦二人の生活で、二階は特に使っておりませんでした。しかし台風のせいで停電し、真っ暗の中不安で眠ることもできませんでした。そんなときにまず二階の窓が割れ、何をすればよいかわからなかった私たちは二人でラグを運び、とにかく穴をふさごうとしました。もちろん、その頃には床にガラスが飛び散っていました」
しかし、思いきり台風が吹き込み、床にガラスが飛び散っている状態でずっと押さえ続けられるはずがない。
「二人の力には限りがありますから、ソファを持ち上げて、それを重しにしようとしました。そうこうしているうちに、一階のシャッターがひしゃげて、そこから下の窓も割れ、さらに被害が大きくなりました。屋根がやられた家というのは、そうやってまず
家の窓がやられて下から吹き上げられた結果瓦が飛ばされてしまったということが多いようです」
どうすればよかったのだろうか。
「これは後からこの地域に何十年も暮らす古老から聞いたのですが、東京湾を通る台風が来たときは、窓を全て開け放て、という言い伝えがあるそうです。そうすれば、中に入った風は通り過ぎて、瓦が飛んだり屋根が損傷することはないから、と」(※編集部注:最初から開けておくわけではなく、窓が割れた場合にその対に位置する窓を開け放てということだと思われる。なお、構造的に昔の家ならばともかく、現代の家の構造だと「反対側の窓」をないこともあり、難しいかもしれない)
しかし、これこそ言うは易く行うは難し、の典型例だろう。あの日、我孫子市にある築一年の筆者宅も地震並みに揺れていた。まだ買って一年、これから三十数年借金を返していかなければならないのに、お願いだから損傷がでないでくれ、と祈るしかなかった。
まして、家の中にはパソコンがあり、蔵書もあればソファもある。筆者が午前中に支援活動を行った民宿にもアップライトのピアノがあった。窓を開け放つということは、それら全てを犠牲にすることを意味する。筆者が南房総にいたとして、ここで窓を開けるという決断は絶対できなかったに違いない。
繰り返すが、今回の台風で被災した家というか建造物に関して構造や古さは関係ない。新築であろうが、頑丈であろうが関係なく被害が出ている。この「ウェストペニンシュラホテル」においても、二階のレストランがやられたという。