結果的に、
日米貿易協定は同床異夢の日米による妥協と矛盾の産物であり、
WTOルールに違反している「いかがわしい協定」*となった 。多角的貿易体制を再建しようとする各国の努力に水を差しかねない。
<*日米貿易協定がWTO違反であるとの指摘はすでに複数の専門家から指摘されている。/
「日米貿易協定で日本がWTOルールの‟抜け穴”つくる?」細川昌彦氏(中部大学特任教授、元・経済産業省貿易管理部長)|日経ビジネス)、
【鈴木宣弘・食料・農業問題 本質と裏側】【日米貿易協定はWTO違反】国会承認は違法|農業協同組合新聞)
世界164の国・地域が参加する
WTOは、様々な問題があるものの、現在の多角的貿易交渉の唯一の場である。その原則は全加盟国への無差別主義であり、
特定の国・地域間での特恵的な貿易協定の締結を基本的に禁止している。しかし、WTOの規律である
GATT24条では、「実質上のすべての貿易について、又は少なくともそれらの地域の原産の産品の実質上のすべての貿易について、廃止すること」を条件として、例外的にFTAを認めている 。この規定によって、TPP協定などのメガFTAや、二国間FTAなどの協定が可能になっているわけである。なお「実質上、すべての貿易」には厳密な定義はないが、貿易額の約9割が目安とされている。要するに
特定分野だけの関税撤廃をするという「いいとこ取り」や「つまみ食い」のFTAを、WTOは許していないのだ。
問題は、日米貿易協定が上記の
「実質上すべての貿易」すなわち貿易額の9割程度の関税撤廃をクリアしているのかという点である。
2018年度の日本から米国への輸出総額は
15兆4702億円だったが、そのうち
29%が自動車、6%が自動車部品、6%が原動機である(図1)。
日米貿易協定の結果、日本は、米国がTPP交渉で約束していた
自動車・自動車部品の関税撤廃の獲得に失敗した。その結果、上記3品目の関税撤廃を除けば関税撤廃対象は残りの59%となり、
WTOが求める約90%には程遠い。
実はこの問題は、交渉が佳境に入った2019年7月頃から日米の専門家から指摘されており、私自身も注視してきた。
日本は「自由貿易推進」の旗を掲げ、米国離脱後のTPP協定やEUとの経済連携協定を発効させてきた。またRCEP交渉ではアジアの新興国・途上国に対してWTOの規律に沿った関税撤廃を強く求めている(図2)。
どの国(特に途上国・新興国)にとっても関税撤廃は国内産業の保護の面からも容易ではなく、多くの国が苦渋の選択を強いられている。またトランプ大統領のWTO軽視や、一方的な制裁関税の対応に悩む国も多い。これらの国々を含む国際社会からすれば、
「WTOルール遵守を他国に要求する一方、なぜ米国にはWTOルール無視を許すのか」との疑問も出るだろう。WTO違反は他国から提訴される案件ではないが、
日本のダブルスタンダードを他国は厳しい目で見ることは間違いない。
日本政府が発表した「
日米貿易協定の概要」によれば、「(米国の)自動車・自動車部品については、米国譲許表に「更なる交渉による関税撤廃」と明記。(自動車・自動車部品に係る具体的な関税撤廃期間や原産地規則は本協定で規定せず。)」と記載されているのみである。これを素直に読めば、米国は今回、
自動車・部品の関税撤廃について具体的な約束は何もしていない。
ところが、ニューヨークでの
茂木敏充大臣のブリーフィングに続き、記者説明を行った
渋谷和久政策調整統括官(内閣官房TPPなど政府対策本部)は、「関税撤廃率はアメリカ側が約92%、日本側が約84%ぐらいの数字ではないかなと」*と説明した。なぜ、米国の関税撤廃率が92%という話になるのか。渋谷氏は説明を続ける。
<*
渋谷政策調整統括官による事務ブリーフ概要|内閣官房)
「今回は米国の譲許表にはっきりと更なる交渉 ”further negotiation” によって関税撤廃ということが明記されるわけですので、わが国としては、何年後に撤廃ということは書いていませんけれども、自動車と自動車部品について譲許表できちんと明記したということは、自動車と自動車部品についての米国の約束の形であると考えているところです」
「TPPでも乗用車は25年後、トラックは30年後というのも当然撤廃率に含めて説明をしていたわけですし、他の協定でも長いステージングというのはあり、これまでそれらを撤廃率に加えてきたわけで、今回もいずれ何年目というのは議論するわけですから、そこは問題ないかと考えております」
要するに、撤廃に至るまでの段階的な率や年限など具体的な数字は約束してもらえなかったが、
「さらなる交渉」をするのだから最終的には92%になるという理屈だ。しかしこれは
日本政府によるまやかしの説明と言わざるを得ない。
関税譲許表とは、各国が様々な品目について、「即時撤廃」「2年目半減」などの最終到達点とともに、1年目に何%、2年目に何%というように具体的なスケジュールを決めて記載する法的文書である*。ここでは一つ一つの数字こそが肝であり、「約束」内容に他ならない。その意味で、米国は今回自動車・部品の関税撤廃について
数字上の約束は一切しておらず、「今後の交渉で撤廃」という方向を示しただけである。それを米国が関税撤廃をした後の達成率(92%)として語るのは無理があり、
「結果」と「期待」を意図的に混同して、WTO違反でないと主張しているとの批判も避けられない**。
<*参考として、今回の日米貿易協定にて米国が日本に約束した自動車・部品以外の工業製品の関税撤廃・削減の具体的な年限や率を記載した
譲許表(経済産業省発表)>
<**GATT24条では、「実質上すべての貿易」の関税率を撤廃していない協定であっても認められる例外規定がある。当該協定が「FTAに向けての中間協定」であり、「妥当な期間内に関税同盟を組織し、又は自由貿易地域を設定するための計画及び日程を含むものでなければならない」ことが条件となる。しかし日米貿易協定では最終的な協定の計画及び日程を含んでおらず、米国側は「米国の自動車関税の撤廃はこの協定に含まれていない」(通商代表部のライトハイザー代表)ともコメントしているため、WTO上の「FTAに向けた中間協定」とみなされない可能性が高い>
こうした結果について、「自動車に制裁関税をかけられるよりはましだろう」と思う人もいるかもしれないが、米国の予測不能で一方的な制裁を回避することと、WTOという国際ルールを違反することはまったく異なる次元の話で、どこにも大義はない。第2次大戦後、ブレトンウッズ体制などを経て国際社会が模索してきた多角的貿易体制に反する自殺行為だと言わざるを得ない。
問われなければいけないのは
、WTOを違反をしてまでも、なぜ日本が米国の利益に貢献しなければならないのか、という点だ。そもそも日米貿易協定交渉は、日本ではなく米国が望んでもので、大統領選前に成果を出したいとトランプ大統領は考えているが、日本が合意や批准を急ぐ必要などはまったくない。