故人をミイラにし、共に暮らすトラジャ族の死生観とは
2019.10.05
インドネシアのスラフェシ島に、“トラジャ族”という民族が住んでいるのをご存じだろうか。彼らは家族が亡くなった際、故人をミイラ化して“病人(熱のある状態)”と呼び、共に生活するという独特の文化を持っている。
彼らは、ミイラとなった故人に三食を与え、頻繁に話しかける。つまり、西洋医学的には亡くなっているミイラ化した家族は、彼らの中ではまだ生きているのだ。
こうした文化を持つトラジャ族の死生観とはどのようなものなのか、その背景にはどんな歴史があるのか、我々日本人が彼らから学ぶべきことは何なのか。日本人の感覚では考えられない文化を持つトラジャ族の死生観と、その根源に迫る。
トラジャ民族は、インドネシアはスラフェシ島中央部の山間地域「タナトラジャ」に住んでいる。
タナトラジャは要塞のような1,000メートル級の山々に囲まれているため、トラジャ族は外部と交流する機会が少なく、固有の文化が色濃く残されている。そのためか、トラジャ族には先代の文化や伝統を強く重んじるメンタリティがある。祖先のマレー系海洋民が使用していた舟を模った彼らの住居の大きな屋根はその象徴だ。
このような背景を鑑みれば、17世紀初頭以降、インドネシアでは多くの地域がイスラム教を受容してきた中、トラジャ族にはアルクトドロ教(「先祖のやり方」の意)というアミニズムが今でも根付いているのも頷ける。
トラジャ族は「死ぬために生きている」と言われるほど、”ランブソロ”と呼ばれる葬儀のために多くの時間と労力を費やす。トラジャ族の平均月収は1~2万円程度である中、ランブソロにかける金額は数千万円に及ぶこともあるという。タナトラジャは階級社会であり、ランブソロは、故人に対しての強い感謝及び尊敬の念の他、社会的な地位や家系のプライドが密接に結びついている。
数日をかけて行われるランブソロには、親類縁者だけでなく、近隣の村人、隣村の助っ人までもが集まり、その数は何百人にも上る。訪れる人々は水牛や豚を持参し、受付では参列者が持参したものが綺麗に書き留められていく。参列者のランブソロの際にきちんとお返しができるよう、水牛の体の大きさ、角の大きさ、尻尾の長さまで綺麗に測って記録される。
タナトラジャでは水牛が故人をプヤ(天国)へ連れていくと考えられており、多くの水牛を生贄にすれば、それだけ天国への到着も早まるとされている。その為、数十頭~数百頭という水牛が式中に生贄として殺されるが、タナトラジャの水牛は世界で一番高価であり、一番神聖だとされるまだら牛には、一頭数千万円の値が付けられる。
式中は、故人が生前に行った良いことだけが歌われる”マバドン”という踊り、年長の女性たちが長い羽根飾りをつけた衣装を着て踊る”マカティア”という踊り、闘鶏や闘牛といった、極めてユニークで華やかな催し物が続く。また、 “トミナ”と呼ばれる司祭が参列者に対し、故人に対して借りはなかったか、マイクを持って呼びかけ、参列者が故人から受けた恩を、熱い想いと共に述べていく時間もある。
華やかに進行されるランブソロだが、終盤では雰囲気が一変する。参列者は泣きじゃくり、会場は悲しみに包まれる。故人の人生最大のイベントを賑やかに飾ろうと盛り上げてきた参列者たちも、いよいよ故人との別れの時期が迫ってくると、悲壮感に苛まれるのであろう。長い間、莫大な時間と費用をかけて準備をする中で、心の準備は出来ていたはずなのに、式が進むにつれて急に実感が湧き、“病人”の期間も含め、故人との数々の想い出が蘇るのかもしれない。
しかし、最後は明るく故人を送り出すのもランブソロの特徴。一時は悲しみに包まれた参列者も、賑やかに棺を運びランブソロは終了する。
ランブソロが終わった後にも、3年に1度ミイラを墓から掘り起こし、服を着せ替えパレードをしたり、一緒にピクニックをしたりして一緒の時間を過ごす”マネネ ”という風習も存在する。彼らは先祖に対する並々ならぬ思いを抱えながら生きているのだ。
トラジャ族の歴史
トラジャ族の葬儀
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