1963年4月8日『2人の某候補が雇ったとされる十数人の男たち』
立会演説会に参加している2人の候補者に雇われた10数人の男たちが、自派候補の演説の際に、通路を歩き回って睨みをきらし、止めに入った選管職員ともみ合いになった。そのため演説が10分間中断した。また、自派の議員へ対するヤジがあると、ヤジをした人の前にじっと立って威圧した。一方、雇い主の対立候補の演説中には、ヤジを飛ばしまくった。
ヤジ1「よろめき」
ヤジ2「アル中」
ヤジ3「隅田川にほうりこむぞ」
<出典:ヤジ、怒号-この妨害 都知事選 立会演説会 集団でニラミ回す 1963年4月12日 朝日新聞 朝刊>
もはやお前らプロだよ。プロのヤジラーだよ。
【時代背景】各会場で集団ヤジが目立ち、聴衆から選管に抗議が殺到していたため、前日に東京都選挙管理委員会が声明を出し、妨害者に静止を命令し、従わない場合、会場から退去させることになった。
某候補の演説の際に、学生服姿の3人がヤジり演説が聞こえない状態になった。聴衆の一人が
「静かにしろ」とたしなめたところ、
3人がその聴衆を小突き始め選管と警察官によって会場から強制退場させられた。
<出典:1963年4月12日「ヤジ、追い出される 都知事選演説会 選管声明後初めて/統一地方選」読売新聞 朝刊>
小突き始めたら、もうヤジとか表現の自由の前に暴行だからね。
1976年11月21日『自民党 田中角栄氏の代役、早坂茂三秘書』
【時代背景】この年の2月に、業績不振に陥っていたアメリカのロッキード社が、飛行機の売り込みのために、田中元首相や丸紅の社長などへ賄賂を送ったことが判明し、田中元首相をはじめとした政界と財界の大物が逮捕された。俗に言うロッキード事件。
有権者からの批判を恐れ、田中元首相が欠席。早坂秘書が代役として登壇。前方に約200人ほどの田中角栄親衛隊の姿が。
早坂「戦後13回目の総選挙を迎え田中角栄は正々堂々と立候補しました」
ヤジ1「角栄はどうした」
田中親衛隊「(早坂)ガンバレよ」
早坂「田中は日本の法体系の中で、身のあかしを立てることをお誓います」
ヤジ2「ウソつけ」
ヤジ3「新潟3区の恥」
田中親衛隊「(角栄)マスコミに負けるな」
早坂、ロッキード事件から地域開発に話を変える
ヤジ4「ロッキードから逃げるのか」
上越新幹線や関越自動車道など公共事業の話になると
ヤジ5「国民の血税を無駄遣いするな」
<出典:1976年11月22日「“角ぬき演説会”大荒れ 代役秘書もたじたじ 新潟3区 乱れ飛ぶ怒号とヤジ」読売新聞 朝刊>
正々堂々と立候補したくせに、逃げてますやん……。
今回は、戦前から1970年代までを取り上げた。戦前、戦時中の事例は、ほとんどヒットしなかった。おそらくその原因として考えられるのは、当時、言論統制や言論弾圧、情報統制などが行われており、ヤジを飛ばす環境が存在しなかったことや、そういった事例があっても、新聞が政府による検閲を受けていたため、報じることができなかったためだろう。
注目すべきは、1960年から70年代にかけて、立会演説会でのサクラによる集団ヤジが問題になっていたことだ。候補者に雇われたサクラは、対立候補へ誹謗中傷を含んだヤジを飛ばしたり、対立候補の支持者へ恫喝をしたりし演説を妨害していた。現在よりもひどい状況だが、警察は介入することにとても慎重な態度を取っており、警察ではなく選管が対処すべきという発言をしていた。
この時代と現在を比較すると、
「増税反対」と一言ヤジを飛ばしただけで警察の手によってその場から排除されてしまう現代の異常さを理解することができた。
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短期集中連載・政治家ヤジられTIMELINE・Part1
<文/日下部智海 a.k.a.ひもっち イラスト/kame>