次に、日本特有のPTA組織のあり方について話が及んだ。
「フィンランドにはPTAのような組織がない。親は、任意の市民団体を作って学校とは別で活動をしている。日本は半強制的に親がPTAに参加し、行政や学校とともに活動しなければならない。
PTAが子供たちの役に立てばいいものの、国の施策に従わざるを得ないため、どうなるか見当がつかないのはとても怖い」(岩竹氏)
親が行政の言いなりになる日本のPTAや団体は、もっと変革していく必要があるのでは。こう主張した岩竹氏に呼応するように、黒川氏は「
PTAは日本最大の市民組織であるため、国に利用される恐れがある。国に都合のいいように使われる危険性をもつ。行政や国につながる組織ではなく、学校独自の組織として、子供のためになる活動をする団体としてあるべき。そうすれば親はもっと楽になる」と述べた。
日本特有のPTA組織は戦前の母の会の流れを汲むものだという。奉仕と修養の精神で作られた母の会は、その名残をPTAに受け継ぎ、国の縦割り組織の一部として機能している。
国の都合でPTA活動や学校の教育方針が決まってしまうのは、ファシズム的思想にも似た構造が見られると岩竹氏は意見を述べた。
「
事故が起きているのにやめない組体操問題は、ファシズム的な思想が今も残っている象徴なのではないだろうか。かつての軍隊式な考えの最たるものであり、旧来の教育方法から脱却できずにいる現状。今もナショナリズム的な考えがはびこっていることが、レールの上に成り立った日本の画一的な義務教育につながっているのでは」
フィンランドでは日本のように
いじめが起こってから対処するのではなく、予防に注力しているという。いじめ防止プログラムが学校に用意されていて、傍観しないよう啓蒙がされている。
「いじめは人との関わり合いのスキルの問題だと思う。日本はいじめに対してドライな反応を示す。やり過ごすもの、我慢するものであると。見て見ぬふりせざるを得ない状況は、
日本社会が、子供から大人まで苦役を与える構造になっているからなのでは」と日本のいじめに対する考え方について岩竹氏が意見を述べた。
「
いじめがないと報告すれば、校長の評価につながる。こうした背景があるから、臭い物に蓋をする形でいじめを隠蔽してしまう。
いじめを見て見ぬ振りをしている学校の体質は、今後変えていかないと、いじめ問題は解決しない」と黒川氏。
日本は、2018年から道徳の授業が教科化され、5段階評価がつくようになった。道徳の授業では、規律性や道徳性を育むことが主眼に置かれている。しかし、いじめの根本的な防止に繋がるのかは疑問だ。
画一的な教育方針で、授業で何でも詰め込もうとする日本の教育。近い将来、確実にAI時代が到来するからこそ、教育現場で考えるべきことは、「人を育てる」ことの根源を問うことなのではないだろうか。フィンランドのようにシンプルで合理的な教育をどう取り入れていけば良いか。日本の教育を見直すターニングポイントが来ているのかもしれない。
<取材・文/古田島大介>
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている。