「みんなと同じ」を強制した結果、自殺した場合、責任とれるか?
文部科学省「平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」より
不登校経験者で『不登校新聞』編集長の石井志昴さんは昨年10月、文科省のデータをもとに小・中学校の不登校児童・生徒数が14万4031人に達し、前年度比で1万348人も増えていることを
Yahoo!ニュース個人で指摘した。同記事には、こう書かれている。
「不登校とは『すべての子どもが学校だけで育つ』という状況が生んだ問題です。この現状があまりに偏っています。『不登校によって子どもが苦しまない状況』をつくるためには、学校以外の選択肢が必要です」
未成年の自殺は、家族や学校、地域社会の求める良い子から逸脱できないという仕組みとの心中だ。
その仕組みの外側には、子どもにとって自分を苦しめない仕組みを持つ共同体が無数にあるのに、「あの塀の外は危険」と怖がらせ、自分の支配下の置こうとする大人たちがいる。
社会経験の乏しい子どもを自分自身の不安や恐怖で支配しようとする彼らは、みんなと同じように学校に行かせた結果、子どもが自殺してしまっても、「私は世間や常識に合わせただけ」と自分自身に言い訳するのだろうか?
子どもに責任能力を身につけさせることこそ、「育てる」という仕事だ。
なのに、大人が思考停止し、判断基準を常識に合わせて世間体を取り繕うだけなら、子どもは自分の人生を自分で作り上げることも、自分の責任能力を高めることで自由裁量の範囲が広げられることも学べないだろう。
そんな大人に「死にたくなったら勇気を出して相談して」と言われても、相談しにくい。そんな勇気があるなら、「家や学校を飛び出して、もっと安心できる場所に行きたい」という望みを叶えるのに使いたいというのが、子どもの言い分ではないか?
「死なないで」という言葉しか言えず、死にたい当事者の子どもが抱える切実な事情を解決する覚悟と体力、資本力がない大人こそ、自分の無力と向き合い、一緒に解決へと動ける仲間を作ってほしい。
変わるべきは、たった一人でつらい気持ちに苦しんでいる子どもではなく、時代遅れや世間知らず、人付き合いの下手さを自覚したくない大人の方なのだから。
メディアよ、そろそろ立場より事実に基づき、「家出OK」と言おう!
日本の子どもは、先生も学校も選べないし、教室ではいじめっ子から一方的に苦しめられることもある。
学校がイヤなら転校してもいいはずだし、田舎の閉鎖的な文化が生き苦しいならアニメ映画『天気の子』の主人公・帆高のように都会へ家出してもいいだろう。
都会が苦しいなら、「法外」をあっさり許す地方都市に移住してもいいし、日本独自の同調圧力が苦しくてたまらないなら外国で学ぶのもいい。
自分が関わる共同体を変えれば、関係作法や社会の仕組み、文化も異なる。周囲から「それがおまえの欠点だ」と責められていたことも、ほめられることさえある。
精神療法の中にも、異文化の環境で一時的に暮らす「転地療法」がある。
自分を殺すような場所から自分を活かせる場所へ旅をすれば、人生や命の価値、社会のゆるさに気づかされることは多い。
20年以上前、1990年代までは、「不登校してもいい」と言えば、ものすごいバッシングを受けたものだ。しかし、「学校なんか行かなくていい」という知識人のコメントを新聞やテレビが少しずつ扱うようになり、不登校は恥ずかしいことや悪いことではなくなった。
次は、「自殺したいぐらいなら家出してもいい」と、メディアが自社の立場を捨てて家出の安全性を伝えていけるかどうかが問われている。
それを2040年まで待つわけにはいかない。
未成年の家出人のうち、犯罪の被害にあった子どもは、わずか2%。それが警察発表の統計だ。
一方的に校則を強いる教師、話し合いに応じない親、地域社会にいるいじめっ子に悩まされて死にたいなら、児童相談所に相談した後で家出の計画を練ろう。
時間をかけて計画的に準備すれば、「アホな人たちに囲まれて自分だけ苦しめられ続ける人生なんてバカバカしい。私の価値を認めてくれる人は、この広い世界には無数にいる」と気づくはずだ。
フリーライター&書籍編集者。
1997年、『日本一醜い親への手紙』3部作をCreate Media名義で企画・編集し、「アダルトチルドレン」ブームを牽引。1999年、被虐待児童とDV妻が経済的かつ合法的に自立できる本『完全家出マニュアル』を発表。そこで造語した「プチ家出」は流行語に。
その後、社会的課題をビジネスの手法で解決するソーシャルビジネスの取材を続け、2007年に東京大学で自主ゼミの講師に招かれる。2011年3月11日以後は、日本財団など全国各地でソーシャルデザインに関する講演を精力的に行う。
著書に、『よのなかを変える技術14歳からのソーシャルデザイン入門』(河出書房新社)など多数。最新刊は、『日本一醜い親への手紙そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO)。