その良い例が久保と同じく18歳で入団したブラジル出身のヴィニシウスである。彼は当初カスティーリャでプレーしていたが、2部リーグで彼の能力が引き出せないまま埋もれた存在になっていた。それを昨シーズン途中から監督に就任したソラリ監督が1部チームに彼を引き揚げたという例もある。ヴィニシウスは練習は1部リーグの選手と行い、試合はカスティーリャでプレーしていた。
同じく、マーティン・オデガードの場合もカスティーリャの選手として2部Bクラスのリーグでプレーすることは井戸に閉じ込められたままだと判断してオランダのヘーレンフェーヘンでプレーしている。しかし、レアル・マドリードでは彼の存在が薄れている感もある。(参照:「
Marca」)
久保がカスティーリャでプレーしないことに残念がったのはラウル以外にファンである。レアル・マドリードの多くのファンが久保のカスティーリャでのプレー捌きを観戦することを期待していた。というのもフロント陣がそれを売りものにして久保をカスティーリャの救世主といった感じでファンの前でアピールしていたからだ。(参照:「
El Confidencial」、「
Marca」)
しかし、カスティーリャと2部Bグループのレベルを良く知っている久保は当初からカスティーリャでプレーすることを望まなかったようだ。
その場合、会長のフロレンティーノ・ペレスが考えていたのは同じく1部リーグで元ブラジル代表のロナウドが会長を務めるバリャドリードでプレーさせることであった。ロナウドは嘗てレアル・マドリードでプレーしたこともあり、ぺレス会長とも昵懇の仲である。ロナウドは久保の獲得に強い関心を示した。ところが、バリャドリードのプランは久保を説得させるには十分ではなかったようだ。
同時に久保にオファーをしていたのが、マジョルカ島の首府パルマに本拠地を構えるマジョルカであった。そして最終的に久保はマジョルカのプロジェクトに魅力を感じて移籍を決めたのであった。
マジョルカは今期1部リーグに昇格したが、1916年に創設された古いクラブである。1997年から2013年まで1部リーグに籍を置いていた。1部リーグでの最高位は1998-1999と2000-2001の2つのシーズンで3位にランキングされたことである。これまでマジョルカには日本選手は大久保と家永がプレーしたことがある。
マジョルカでプレーすることで2部Bグループの粗いプレーから解放されるが、マジョルカで実績を挙げないことには逆にレアル・マドリードの将来有望選手の枠から外される可能性もある。久保にとって危険な賭けでもある。