ララは、本当に口数の少ない少女だ。足を血だらけにしながら踊る、鬼気迫るバレエレッスンのシーンは、彼女がバレリーナという夢に対して異常なまでの執着を持っていることを物語るが、実は彼女が自分の口から「どうしてもバレリーナになりたい」と語るシーンは、出てこない。
そんな寡黙な彼女が、「誰かの模範になりたいわけじゃない」「女の子になりたいだけなんだ」と涙を流すシーンは、ララが何よりも望むことは、「身も心も女性である」ということなんだと思い知らされる。身体さえ女性であれば、というララの声が、聞こえるようだった。
ララは、自分の身体についている男性器が嫌で嫌で仕方がなかった。そんなコンプレックスを持ちながらも、厳しいバレエレッスンをこなし、病院に通い、愛する家族と食事をする。そんなララの日常をみていると、ひとりの人間としての強さや生き様を見せつけられる感覚がした。「どうしたらララのような人を救えるのだろうか」と考える自分を、おこがましく思った。
LGBTを理解しようとするのではなく、ひとりの人間として捉える
身も心も女性であること。それは、私にとってはあまりにも当たり前のことだ。もし自分の身体に男性器がついていたとしたら、と想像しようとしたとしても、うまく想像できない。LGBTやトランスジェンダーを理解する、なんて、そんな簡単なことじゃないと思う。でも、誰にも言えない悩みを持つことは、皆同じであり、それはひとりの人間として当然のことだ。その思いを知ること、向き合う事だけでも、十分なのかもしれない、と思った。
幸いにも、当事者と接することがなくとも、こうした映画を通じて、LGBTのリアルを知ることは出来る。この映画「Girl/ガール」には、モデルとする実在の人物がいる。取材を重ね、約9年の歳月をかけて完成させた作品だそうだ。そして、ララを演じた俳優は、シスジェンダー(トランスジェンダーではなく、性自認も身体的性別も同一であること)である男性のバレエダンサーだ。ララというひとりの人間に着目し鮮明に描いてくれたことに敬意を表し、トランスジェンダーのリアルを知ってほしいと思う。最後のララの選択を、見届けてほしい。