昭和は政治が面白しろかった。面白いからこそ投票した
今の国会のていたらくは多くの国民にとって、許しがたい状況だろう。
昭和の政治は面白かった。小説吉田学校ばりの政界の権力抗争は常に表沙汰になり、派閥間、いや派閥内部でも常に緊張状態があった。その張り詰めた状況こそが、日本の政治と経済を磨き、国家としての強さの原動力となったのではないか。経済成長、新規産業の育成だけでない、国民の生活や福祉の向上にも役立っていたはずだ。
何しろ政権選択の衆議院総選挙でさえ一つの選挙区から複数の当選者が出る中選挙区だった。ひとつの選挙区に与党の対立する複数の候補で競り合った。与党野党という単純な選択でない。与党の中でもどの候補がいいか、有権者が選べた。野党の中でも中道から左派までいろんな候補から選択ができた。候補者は自らを際立たせるために、活発な論議が起こしたのだ。
選挙が終われば首班指名を得るために派閥間で権力と政策の激しいせめぎあいも起きた。汚職も買収も裏切りもあったが、それも国民にとって受け入れがたいほどになれば、与党の議席は減り野党が伸びた。野党の議席が一定程度あれば、与党は野党にも配慮して、話し合い歩み寄り譲り合って政策の落とし所を探った。こうして多くの国民が受け入れられるところで物事が落ち着いたのだ。
そこには、
政治家たちの権力欲と国民への視線との微妙なバランスを考えた真剣な模索があったのだ。
権力のある政治家がガチンコで戦っているのを横から見ているのは面白い。それをあぶりだしたのもかつての選挙だった。政治の面白さは選挙と結びつき多くの人が投票し投票率も高かった。
つい10年ほど前の選挙を思い出してほしい。自民党の不祥事が続き、野党がマニフェストを持ち出し総選挙になった時や、小泉純一郎首相が自ら、自民党をぶっ壊すと刺客を送り込んた郵政選挙の時にも国全体が大いに盛り上がったのを覚えているはずだ。
政治評論家はそれを「風」と呼んだが、要は国民が政治家がガチンコに戦う政治情勢を面白がり、そこにこの国と自分たちの行く末を託したからに他ならない。
永田町に緊張感を取り戻すために、弱小野党の最後の秘策
この7年、安倍一強時代には、かつてのような
緊張感が永田町や霞が関から失われた。例えば、
選挙の前には「TPP絶対ダメ」という党の公約ポスターを全国に貼っただけではない、参加する理由の柱の一つだったアメリカが離脱した後でさえ与党は条約を推進した。びっくりした。この言動の違いに対して誰も責任を取らないし、与党議員で執行部の決定に逆らって離党したものもいない。有権者でさえ公約は守られなくても、あの混乱の野党時代よりはいいのだ、これしかないのだと自ら言い聞かせているのだろう。いや内実は絶望しているのかもしれない。
何しろ自民党に投票する人も、野党がだらしないからとか、野党によって政治が混乱してこれ以上生活が悪くなるリスクを取りたくないからという消極的な理由で投票している人が少なくない。だからこそ、投票率が50%を切った7月の参議院選挙での安倍首相のキラーフレーズはまたもや「悪夢の民主党政権に戻して良いんですか?」だった。
もう7年前の、それもすでに無い政党の失政を取り上げて攻撃しているのだ。その参議院選挙で旋風を起こしたれいわ新選組の山本太郎のところに、与党の元閣僚から頑張ってくれという激励の電話があったという。それは、与党内でもはや活発な政策論議や権力闘争がないからに他ならない。次の選挙の公認を得るために執行部にとって聞き分けのいいひとりになるしかない今の与党議員の鬱憤からの行動だったと想像する。与党の議員だって面白く無いのだ。
政治を面白くする。活力をもたらし政策を磨くためには永田町に
緊張感という炎が燃えあがらなくてはならない。そのためには
安倍一強政治に抗する人の意見や行動を無視できない政治状況を作る必要があるのではないか。
まずは野党ももう少し強くなってもらうことが必要ではないか。しかし、野党はつまらない。権力を持っていないものの悲劇か、お互いを罵り合い離合集散を繰り返す。さらに候補者はすでに組織率も高くない労働組合出身者だったりする。一般の国民には向いていない。
この25年以上、政党支持率で最も高いのは、常に「支持政党なし」だ。無党派なのである。選挙はこの無党派の支持をどれだけ取り付けるかで決まる。それなのに、ほぼ全ての政党が無党派を向いていない。選挙の時に自分の党に取り込もうとしているだけだ。特に政党支持率が15%に届く政党のない野党が一人しか当選できない小選挙区で勝ちたいのなら、党の候補でなく、勝てる候補を出さなくてはならない。労働組合出身というだけでは勝てる時代ではないのだ。その勝てる候補を野党が知らない。では、勝てる候補を誰が知ってるか? それは選挙権を持ってる有権者自身なのだ。