自国民が損害を受けたときに相手国の責任を追及する「外交保護権」と個人の請求権について理解するためには、1952年に発行した
サンフランシスコ講和条約(サ条約)とその後の損害賠償請求の歴史について知る必要がある。
サ条約第14条は、日本は連合国に賠償を支払うべきだが、その負担に耐えるだけの経済力がないとしている。そこで、連合国とその国民は日本への賠償請求権を放棄し、その代わりに、日本と日本国民も連合国への賠償請求権を放棄するとした。第一次大戦後、ドイツに過重な賠償責任を負わせたことで、ナチスが誕生した反省を踏まえてのことだった。
その後、被ばく者らが日本政府に対して賠償請求を行った。原爆投下は国際法に違反するものであり、被ばく者は米国に対して損害賠償請求権を有するにもかかわらず、日本政府はサ条約によってその権利を放棄してしまった。そう訴えて、日本政府に賠償請求したのだ。
このとき日本政府は、
サ条約で放棄したのは、「外交保護権」であり、原爆被害者個人の請求権ではないと抗弁した。要するに、
日本政府自ら個人の請求権は放棄していないと認めているのだ。
国家の外交保護権は放棄したが、個人の請求権は放棄していない。――
日本政府は、韓国との間に結ばれた請求権協定についても、同様の見解を示してきた。
実際、外務省の柳井俊二・条約局長(当時)は
1991年8月27日、参議院の予算委員会でこう述べている。
「日韓両国が国家として有している外交保護権を相互に放棄したことを確認するものでございまして、いわゆる
個人の財産・請求権そのものを国内法的な意味で消滅させるものではない」
内田弁護士は、「こうした解釈は、被ばく者からの賠償請求などに直面し、日本政府が自らの責任を免れるために編み出したもの。
韓国の大法院の判決も、日本政府の見解と同様の立場を取っている」と指摘する。