原電東海第二は、いろいろ努力はしているのですが、運開から41年を経て、民家は近隣に迫り、30km圏内に100万人の人口を抱えるという、原子力・核防再計画の立案と実施が不可能な環境となってしまい、立地不適格と考えるほかありません。
仮に、多重防護の第四層までが機能して72時間程度の時間を稼げたと*想定しても、その72時間で100万人を避難させることは不可能と言うほかありません。どう考えても多重防護の第五層を整備することは不可能で、ショーラム原子力発電所(Shoreham Nuclear Power Plant)**よりも条件は遙かに悪いと考えるほかありません。
*これは甘い想定で、第二世代原子炉では、精々24時間から48時間程度しか時間稼ぎは出来ない。72時間とは第三世代プラス原子炉での時間稼ぎ時間。
**合衆国ニューヨーク州ロングアイランドにLILCO(ロングアイランド電灯会社)が建設したBWR 820MWeであるが、全関係者参加避難訓練の実施が出来ず、操業開始することなく1$でニューヨーク州に売却、放棄された。建設期間は12年かかり、55億ドル(1989年当時の邦貨で1兆円前後)を要したが、完成後5年を経て、営業運転に入ることなく廃止となった。営業運転は行わなかったが、5%の低出力試運転を行っていたために施設は放射能汚染をしており、いまだに解体されず荒廃し、合衆国の廃墟愛好家にとっての聖地となっている。なお、建設費は現在もロングアイランド需要家の電気料金に上乗せされ、漸く半分が償還を終えたとされている。
7/4日本原電東海第二発電所入り口付近(GoPro画像より)
正面の交差点から左に入ると原電私有地となる。すでに19時を過ぎており、展示館は閉館時間後のため入構しなかった。
7/4 JAEA研究所正門(GoPro画像より)
こちらは大洗研究所と同じく正門検問所が公道に面しており丸見えとなっている。核防上好ましくない
東海村をあとにしていわき市のホテルにチェックインできたのは22時前でした。当然ですが原稿などとんでもない話で、翌朝8時発を目指して休養を取るしかありませんでした。
4時間の遅延がなくても18時着と推測されますが、遅延がなければ取材を念入りに行いますので、おそらく20時着でしょう。
どうも最初に聞いた話とかなり違う気がしてきました。先が思いやられるなと感じつつ、翌朝8時発を目指して休養しました。
次回は、第二日目7/5(金) 福島核災害被災地を縦断し、仙台市から女川原子力発電所に向かい、石巻泊となります。
<取材・文・撮影/牧田寛>