子どもの権利を代弁する「アドボケイト」は、子どもの望みを叶えられるか?
しかし、大人でも権利意識が乏しい日本では、自助や共助より公助としての制度を真っ先に頼りがちになる。すると、どうしても役人の声が子どもの声より優先されてしまいかねない。そこで、堀教授は民間で市民がアドボケイトを担う必要を訴えている。
「(日本の)子どもは事実上の無権利状態。日本にもアドボカシーセンターのような第三者機関が必要だ。アドボケイトは一般市民の中から育てる必要がある。元教員や元ケースワーカーなどはあまり向かない。学校や児相のルールを知っているため無意識に子どもを言いくるめてしまう可能性があるからだ」(同上)
この指摘は、きわめてまっとうだろう。
現実には、民間の子どもシェルターとかかわる弁護士がアドボケイトを担当し、子どもの声に基づいた代弁によって親権者を説得することもあるが、アドボケイトは必ずしも法律の専門家である必要はない。
むしろ、先回りした助言で大人の都合を押しつけず、不安に揺れる子どもを安心させられるコミュニケーション能力や、制度ではなく民間の社会インフラで子どもを救うための最新の知識、ゆっくりじっくり子どもとつき合う辛抱強さや時間的な余裕などが、資質として問われていくだろう。
いずれにせよ、子どもの本音に基づいて、彼らの望みに忠実に動こうとすれば、制度の壁が立ちふさがることが珍しくない。
たとえば、未成年の子ども3人を育ててきたひとり親家庭で、親が働けなくなってしまったのに頼れる親戚もいない場合、子どもたちが「児童相談所の世話になりたくない」「家の近所の友達とも離れたくない」と切実に訴えてきたら、アドボケイトは誰にどういう救済を求めるのだろうか?
たとえば、シングルファーザーに性的虐待を受けてきた娘が、「児童養護施設や子どもシェルターに入るなんて絶対にイヤ。お父さんを警察へ突き出してよ。こんな忌まわしい家にいたくない。家出したい」と泣いて訴えてきた時、どういう知恵でその望みに向き合うのだろうか?
日本では、学校に入るのも辞めるのも、アルバイトに就くときも、アパートを借りる際も、スマホを契約したくても、未成年の場合、それらの権利行使には親権者の許可が必要となる。
アドボケイトの役割は、親権者に子どもの切実な訴えを伝えるだけでなく、親権者に対してさまざまな許可を取り付けることにねばり強く説得することになるだろう。親権者には、ヤクザもいれば、荒っぽい人もいる。うそつきもいれば、約束を平気で反故にする人もいる。
児相の職員が相手でも、彼らは忙しくて十分な相談時間が取れないおそれもある。
アドボケイトの実務が想像以上に大変だろうことは、容易に察せられる。
遅かれ早かれ、アドボケイトを普及させるには、「プロ」として仕事内容に見合う報酬が得られる仕組みを検討しなければならなくなるはずだ。お役所仕事になってしまっては子どもが割を食うので、公務員化は難しい。民間で仕事として成立させるなら、どのようなマネタイズが適切なのかも課題になる。
全国の児童相談所に寄せられる虐待相談だけでも、年間13万件以上もあり、その1件ずつに、困っている子どもがいる。しかも、年々増え続けるばかりで、ここ30年間、減ることがなかった。今後も増え続ける数に見合うだけのアドボケイトを養成しようと思えば、気の遠くなる作業になる。
以上をふまえると、筆者はアドボケイトの必要性は十分にあると共感しつつも、子どもにとって最優先に必要なことは、子どもが自分の権利を行使できる法律への改正と、子どもに親権者を選ぶ権利を与えない現行制度の見直しではないかと考えてしまう。
それは、有権者の大人にしかできないことだ。
さて、子ども貧困や虐待に心を痛めている読者のあなた。
あなたは、アドボケイトになりたいだろうか?
フリーライター&書籍編集者。
1997年、『日本一醜い親への手紙』3部作をCreate Media名義で企画・編集し、「アダルトチルドレン」ブームを牽引。1999年、被虐待児童とDV妻が経済的かつ合法的に自立できる本『完全家出マニュアル』を発表。そこで造語した「プチ家出」は流行語に。
その後、社会的課題をビジネスの手法で解決するソーシャルビジネスの取材を続け、2007年に東京大学で自主ゼミの講師に招かれる。2011年3月11日以後は、日本財団など全国各地でソーシャルデザインに関する講演を精力的に行う。
著書に、『よのなかを変える技術14歳からのソーシャルデザイン入門』(河出書房新社)など多数。最新刊は、『日本一醜い親への手紙そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO)。