―― 最近では葬儀不要論のような議論も行われるようになっています。これについてはどのようにお考えですか。
佐藤:まず前提として、日本では信仰の自由が保障されているので、どのように考えるのも自由だと思います。その上で話を進めますが、この手の議論には「合理的」という言葉が頻繁に登場します。「合理的に考えれば葬儀は不要だ」というわけです。
しかし、人間は合理的なことばかりやっているわけではありません。そんなことを言うならば、人生の節目でお祝いをする必要もありません。それでも多くの人たちがお祝いをするのは、お祝いをやったほうが心が休まるからです。
葬儀も同様です。深い悲しみの中にいる人にとっては、合理的でなくとも葬儀やお墓の存在はとても重要です。お子さんを亡くしたご両親の前で、「お葬式やお墓は無駄だからいらない」と言えるでしょうか。
佐藤:また、私自身は葬儀不要論は中国の影響によるものだと考えています。実際、葬儀不要論の構造は、中国で行われている殯葬改革(葬儀改革)と全く一緒です。
中国共産党は仏教や道教などの伝統的な宗教を否定し、葬儀の簡素化を進めてきました。その一貫として火葬を推進し、地方政府にも毎月これくらい火葬を行うようにとノルマを課しています。
しかし、中国には様々な民族がおり、彼らにはそれぞれ独自の死者の葬り方があります。たとえば、江西省では伝統的に土葬が行われており、生前に棺桶を購入し、死後に備えるという風習があります。そのため、いくら火葬を押しつけても、なかなか浸透していきませんでした。
そこで、江西省政府は暴挙に出ます。土葬してあるご遺体を掘り返し、無理やり火葬したのです。さらに、お年寄りが自分のために購入していた棺桶を徴収し、重機で破壊したのです。
葬儀不要論も葬儀を簡素化していこうという考えから出てきたものですから、殯葬改革と同じ思想です。そういう意味では、葬儀不要論との戦いは思想の戦いでもあるのです。
―― 本書は遺体と火葬をメインテーマとしていますが、次回作の予定はありますか。
佐藤:今度はプロの火葬師や納棺師の方々からお話を聞き、「遺体と火葬のほんとうの人たち」といったものにしたいと思っています。本書でも火葬師の方と対談しましたが、その方には師匠がいるので、火葬のやり方を教える大変さなど、そういった話もできればと思います。
(7月4日、聞き手・構成 中村友哉)
【佐藤信顕(さとう・のぶあき)】
1976年、東京生まれ。有限会社佐藤葬祭代表。厚生労働省認定葬祭ディレクター1級。祖父の代から続く葬儀社を20歳で継ぎ、インターネットでの明瞭な価格公開などに取り組む。2015年からYouTubeにて「葬儀・葬式ch」の配信を開始。アカデミー賞映画「おくりびと」の美術協力のほか、メディアへの出演も多数。著書に『
ザ・葬儀のコツ まちの葬儀屋三代目が書いたそのとき失敗しない方法』(合同フォレスト)がある。
<記事提供元:月刊日本>