昭和・平成と「外遊び」普及に尽力した主婦の活動が、令和の時代に問いかけるもの

乳幼児が外遊びできる環境づくりにも尽力

羽根木プレーパーク

羽根木プレーパークで遊ぶ子どもたち

 1988(昭和63)年。矢郷さんは、自宅の一角で「毎日の生活研究所」を立ち上げた。母親という地域の生活者であることを武器にして、生活者の視点をまちづくりものづくりに反映させる、コミュニティデザイナーという仕事を始めたのだ。  地域コミュニティが消失して核家族化し、子育てがしんどくなっていることに社会は気づいておらず、「子育て支援」という言葉もない時代。そんな状況の中で、彼女はママチャリやマンションでの子育ての実態を次々と世に伝えた。その意義は大きかった。  彼女をはじめとする母親たちの活躍によって、平成の中頃にやっと子育て支援の必要性が認知され、乳幼児の親子の遊び場「子育てひろば」が公的施設として全国に広がっていった。  だが、「子育てひろば」は屋内遊び中心。そこで矢郷さんは「室内だけでは子どもは育たない」と、2003(平成15)年にKOPA(冒険遊び場と子育て支援研究会)を組織し、今度は乳幼児の外遊び推進に精力を傾ける。  3年後には、どこの公園でも乳幼児が外遊びできる遊び道具を満載したプレイリヤカーを開発し、いろいろな場所へ出向く活動をスタートした。  以後、2018(平成30)年に亡くなる間際までその普及に尽力。ただ外遊びを提供するのではなく、生活圏(公園や住宅周り)で地域の人たちと連携し、日常的な場面を創り出す、つまりコミュニティを大切にする。そのことを彼女は最後まで大切にした。

令和の時代に入り、さらに矢郷さんの功績が注目

プレイリヤカー活動

プレイリヤカー活動

「今やっていることが、大きな社会変革のきっかけになるかもしれない。今だけの問題じゃなく、将来、社会を変える可能性があるかもしれない。身近な人に話しかけることと、社会的アクションはひとつながり」  そう矢郷さんが語った通り、彼女がイノベータ―としてかかわった外遊びの奨励とコミュニティワークは、今、令和を生きる人たちの手によって広がり続けている。その功績を惜しむ声は尽きず、葬送には、大勢の人たちとともに世田谷区長も列席した。  最後に、桃さんの言葉を添えてご冥福をお祈りしたい。 「中高生のときは反発したこともあったけれど、気がついたら、同じようにまちづくりにかかわっています。最初は『矢郷恵子さんの娘さん』と言われることが多くて嫌だったけれど、今では時を超えて母と同じ地域で、価値を共有できる多くの人たちと関わりながら、こうしていられることがありがたく思えるようになりました。母の娘で良かったなと思っています」 ◆あなたの知らない子育ての話 第2回 <取材・文/林真未> はやしまみ●公立小学校教員、日本人初のファミリーライフエデュケーター。子ども家庭支援センター、子育てひろば、小規模保育園等を運営する「特定非営利活動法人手をつなご」の理事を務める。著書に『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)
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