―― 安倍政権には畏敬の念が欠落しています。
伊藤:以前本誌でも紹介しましたが、安倍首相は2016年9月16日夕方、亀井静香衆議院議員(当時)の前で首相執務室のカーペットにひざまずいてみせながら、「こんな格好までしてね」とニヤッと笑ったといいます。また、麻生副総理は派閥議員たちを前に「退位なんてワガママだ。今の陛下は挨拶も読み間違えるし、判断力が弱ってるんじゃないか」と放言したともいいます。菅氏も「元旦案」に何の躊躇いもなく賛成していました。
安倍首相、麻生氏、菅氏らには皇室に対する畏れがない。政権のナンバー1、2、3がそういう人物であれば、皇室に関わる物事が政権の都合で進んでいくのは当然です。
皇室とは何か、どうあるべきかなどそもそも考えていないのでしょう。安倍政権の対応について皇室関係者が杉田官房副長官に抗議した際、杉田氏が思わず「いや、退位に反対とかいうことはありません。総理は本質的に天皇や皇室に関心がないんですから」と漏らしたので、呆れて絶句したそうです。
しかし、対抗心だけは持っています。上皇陛下の「お気持ち」は国民から8割以上の支持を集めましたが、政府高官は「内閣支持率が負けているなあ」とぼやいていました。こういう皇室と政権を比べる勝ち負けの発想は、安倍政権の態度によく表れています。
安倍政権は常に退位・即位の主導権を握ろうとしてきました。NHKのスクープで退位の意向が頭越しに国民に伝えられた後、官邸は「落とし前はつけてもらう」と言わんばかりに当時の宮内庁長官を更迭しました。改元の日程や新元号の制定も、安倍首相の一存で二転三転したのは前述の通りです。
無関心ゆえの畏れを知らない対抗心――これが皇室に対する安倍政権の一貫した態度です。このような割り切った皇室観は山口(長州)出身の岸信介から安倍首相に伝わり、それが政権の体質にまで及んでいる気がします。
しかし、政権トップの態度に「これでいいのか」という想いをいだいている政治家や官僚は少なからずいます。だからこそ、そういう話がメディアにどんどん伝えられているのが現状だと思います。
―― 皇室はどう対応しているのですか。
伊藤:私は秋篠宮殿下の発言に注目しました。秋篠宮殿下は昨年の誕生日会見で、大嘗祭は宗教色の強い皇室の行事であり、国費ではなく内廷費で賄う形で、身の丈にあった儀式で行うのが本来の姿ではないかと指摘した上で、宮内庁が聞く耳を持たなかったと述べました。これは政教分離に関する意見だと受けとめられましたが、私は皇室の政治利用が行き過ぎていないかという問題提起だったと受けとめています。
もともと現在の大嘗祭は、明治時代に長州閥が定めた登極令にもとづくものです。即位式と大嘗祭は当時の国家主義的な雰囲気の中で、「御大典」として国威発揚のための大掛かりな装置に飾り立てられた側面があります。秋篠宮殿下の発言は大嘗祭が皇室の伝統に則らず、国家主義的に政治利用されていることに対する懸念の表明だったのではないか。
これは十分ありえることです。皇室は長州閥が築いた明治の歴史と距離をとっているからです。安倍政権は昨年10月23日、東京・憲政記念館で明治150年を祝う中央記念式典を開催しましたが、両陛下は出席されませんでした。政府は明治150年の関連行事に予算をつけて、全国で官民合わせて4000のイベントが開催されましたが、原則として皇族の出席はありませんでした。皇室は明治150年の記念事業への協力を拒んだということです。これは上皇陛下の意向だったといいます。
―― 平成は終わりましたが、上皇陛下の問いかけは残されたままです。
伊藤:上皇陛下の退位表明だった「象徴のお務めについてのお言葉」とは、「平成の象徴天皇制はどうでしたか。このまま続けますか。それとも、この際やめますか」という国民への問いかけだったのではないでしょうか。象徴天皇制は何もしないで漫然と続くのではない。それは絶えざる意思と思索、そして努力によってしか続かないものです。
残念ながら、安倍政権はこの問いかけを素通りし、極めて場当たり的、ご都合主義的に対応するだけであり、国民も決して重く受け止めているとはいえません。確かに200年ぶりの譲位によって、国民は上皇陛下に感謝しながら、新しい天皇陛下の即位を素直に祝うことができ、「こういう御代替わりがあるんだな」としみじみ感じ入りました。その一方で、改元ブームはハロウィンのようなお祭り騒ぎに終わり、世相はどこか浮薄で厳粛さからは程遠い。
特にショックだったのは、悠仁さまの学校の机に刃物が置かれた事件です。そういう事件が起きたことにも驚きましたが、それ以上に世論の反応の薄さに衝撃をうけました。未成年かつ現行制度では将来唯一の皇位継承者の命を狙った今回の事件は、昭和天皇(当時は摂政宮)暗殺未遂事件の虎ノ門事件に匹敵すると言っても過言ではありません。戦前ならば犯人は極刑、警視総監は即刻辞任です。しかし、政治も国民もこれだけの事件を悪質ないたずらの類いかアニメのサブカル的な話題として消費し、何事もなかったかのように平気で過ごしている。
平成の30年で皇室に対する国民の支持は広がりましたが、その一方で何か大切なものが失われつつあるような不気味さを感じます。
―― 私たちは令和の時代も、上皇陛下の問いかけに答える努力を続けていかなければならないと思います。
伊藤:改元に際して、「平成は敗北の時代だった」という平成論が流行っていますが、これは数字やデータだけに基づく表面的な評価であり、皇室が象徴する時代の思想や精神を捉えたものとは言えません。平成像は数十年のうちに大きく変わっていくはずです。
そして上皇陛下の問いかけは10年先、20年先にも繰り返しやって来ると思います。その度に、「ああ、陛下がおっしゃったのは、こういうことだったんじゃないか」と何度も気づかされるような、それほどの豊かさと深みを持った問いかけだったと感じます。後世、私たちは「あんな立派な陛下はいらっしゃらなかった」と思い出すことになる気がしています。
(聞き手・構成 杉原悠人)
提供元/月刊日本編集部
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