類似のたとえ話や思想は、いまやマルチ商法やスピリチュアル産業関係者にとどまらない無関係の分野にまで広く出回っている。
これらと共通した思想に基づくスピーチをしたからといって、西野氏が自己啓発セミナーやマルチ商法の関係者とは限らない。
現時点で言えるのは、
西野氏は雰囲気的に「やる気」を出させる適当な与太話をした(それがたまたま? マルチ商法や自己啓発ビジネスによくある類いだった)というだけ。それ自体を悪いとかやめろと言うのは無理がある。「お笑い芸人が、直接の実害があるわけでもない適当な与太話をして何が悪い」と言われれば、それまでだ。
問題は西野氏より近大のほうだろう。
「必ず報われる」と信じて何かを続けることに価値がないわけではない。客観的な正しさの問題ではなく信念を持ち続けることの大切さについての話としては、必ずしも間違ってはいないだろう。
しかし、こうした人の信念や願望に、客観的な正しさを持たない「たとえ話」に説得力を持たせる演出でつけ込もうとする人々がいる。その一例が
マルチ商法であり自己啓発セミナーだ。場合によっては、それが
明確な違法行為や人権侵害を伴う「カルト」である場合すらある。
情報商材ビジネスや投資詐欺のようなものもある。
当たり前だが、「報われることを目指して努力する」のと「必ず報われるから努力する」のとでは、全く違う。報われるかどうかなど誰にも予想できないし、事後的に「報われた」と感じるかどうかは本人次第。全て結果論だ。
「必ず報われる」などというのは、明らかなウソである。
マルチ商法も同じだ。「必ず儲かる」と勧誘したら、それは詐欺だろう。しかし、販売する商品やサービスについての説明ではなく、抽象的なたとえ話で「願えば叶う」「頑張れば報われる」と煽る。これによって直接的に「詐欺」とされかねないリスクを回避しながら、
勧誘相手をその気にさせる。自己啓発文化で彩られた「雰囲気」の悪質な側面だ。
大学の卒業式とは、こういうものが跋扈する世界にこれから放り出されようとしている人々が多く集まる場だ。「いい話」風なものに流されないようにしましょうと卒業生に注意喚起するなら、わかる。しかし近大はその逆。与太話にBGMまでつけてYouTubeに動画をアップしている。完全に自らが西野スピーチを「いい話」として演出している。
大学は教育や研究を目的とする機関であって、不合理な「感動」を売り物にする商売ではないはずだ。
もちろん、今回の西野スピーチを聞いただけで、卒業生たちがこぞってマルチ商法にハマるとは言い切れない。しかし、少なくとも教育機関のやることとして、いかがなものだろうか。
近大を卒業した学生たちが、与太話を真に受けないだけの批判意識や思考力を持ったオトナであることを祈るばかりだ。
<取材・文・写真/藤倉善郎(
やや日刊カルト新聞総裁)・Twitter ID:
@daily_cult3>
ふじくらよしろう●1974年、東京生まれ。北海道大学文学部中退。在学中から「北海道大学新聞会」で自己啓発セミナーを取材し、中退後、東京でフリーライターとしてカルト問題のほか、チベット問題やチェルノブイリ・福島第一両原発事故の現場を取材。ライター活動と並行して2009年からニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(記者9名)を開設し、主筆として活動。著書に『
「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社新書)