── 政権寄りの報道の典型が、岩田明子記者だと言われていますが。
永田:私は主にディレクターの世界で生きてきましたので、記者の世界にとりわけ詳しいわけではありませんが、岩田さんは、地方局時代、市民に寄り沿うような丁寧な取材をしていた時期もあったと聞いています。しかし、2000年に政治部に移り、2002年に安倍さんの番記者になりました。2007年に第一次安倍政権が短命に終わると、多くの記者が安倍さんから離れて行きました。これに対して岩田さんは、安倍さんを大事にし続け、信頼関係を築きました。彼女は、安倍さんのお母さんの洋子さんの信頼も得ました。彼女は、洋子さんの独占ロングインタビューも手がけています。
政権からいち早く情報を取り、スクープを連発すること自体は批判すべきことではありませんが、問題は
あまりにも政権に都合の良い報道ばかりをしていることです。
日ロ交渉に関しても、岩田さんは
「安倍首相のおかげで北方領土が戻ってくるのでは」というイメージを広げました。例えば昨年9月にウラジオストクで行われた日露首脳会談の際には、「クローズアップ現代+」に解説委員として登場し、「そこに居合わせた日本政府の関係者も『まるで日本への島の引き渡しを示唆しているように見えた』と話していました」などと解説しました。一方、日本は朝鮮半島の雪解けの蚊帳の外に置かれているにもかかわらず、岩田さんは、安倍総理が6カ国協議の「橋渡し役」を担っているなどと伝えています。
こうした報道は、
誤報というより虚報です。彼女は、真実を知っているにもかかわらず、それとは異なることを伝えています。その罪は軽くありません。彼女は「取材、報道をする上で最も重要視している事は何か」と尋ねられて、「国益にかなうこと」と語っていますが、それは違います。
記者として最も重視すべきことは、国民の知る権利に奉仕することです。
── 永田さん自身も、2001年の番組改変事件の当事者でした。
永田:保守派の歴史修正主義勢力は、1990年代後半から、慰安婦問題や南京事件を記述した中学・高校の歴史教科書を標的にし、削除を求め、次々に実行されていきました。次の標的になったのが放送でした。彼らは、2001年1月30日に放送予定の
「ETV2001シリーズ『戦争をどう裁くか』」の第二回を攻撃したのです。私は、そのシリーズの総括プロデューサー・編集長という立場でした。
この番組では、2000年12月に東京の九段会館で開催された「女性国際戦犯法廷」を取り上げました。アジア各国の人たちが一堂に会して、第二次世界大戦中の従軍慰安婦問題をめぐり、政府の責任を追及したものです。番組を問題視した維新政党新風は、まず日本会議に働きかけ、安倍さんら自民党の保守派議員を動かそうとしました。
そして放送前日、
松尾武放送総局長、野島直樹国会担当局長らが自民党議員と面談しました。その日の夕方
、野島局長らによる試写が実施され、番組改変が指示されたのです。さらに放送当日に再度改変が行われました。
NHKは自民党議員とのやりとりがあったことは認めていますが、自主的に変えたのであって、政治介入はなかったと言い続けています。しかし、
外形的事実を見れば、政治介入と考える方が自然です。ここに、安倍さんに対するNHKの忖度の原点があるのだとすれば、NHKはきちんとこの番組改変事件を検証すべきです。
── 2016年3月には、23年間キャスターを務めてきた国谷裕子さんが、「クローズアップ現代」を降板しました。
永田:国谷さんは、日本を代表する報道番組のキャスターです。NHKの職員のように組織のしがらみに忖度するようなことは少なく、取材が不十分なときは、「突っ込みが甘い」「国民の知りたいことに答えていない」など、きちんと意見を言う、まっとうな人でした。スタッフだけでなく上層部にも、国谷さんであれば、たとえ政権に対して厳しい意見を言っても尊重しなければ、という雰囲気があり、熱いリスペクトを受けてきました。
2014年7月3日に放送された「クローズアップ現代」は、集団的自衛権を特集し、菅官房長官をスタジオのゲストとして招きました。このとき、国谷さんの隣には政治部のデスクが座っていました。これは、「国谷さんからの質問に歯止めをかけます。恥をかかせません」というサインだったと思います。
それでも国谷さんは本質的な質問を繰り返しました。それは、「日本が他国の戦争に巻き込まれる危険はないのか」というもので、視聴者がもっとも知りたいことでした。しかし、菅さんはのらりくらりとはぐらかし、時間切れになりました。
番組終了後、
菅さんの秘書官が制作スタッフに抗議したと言われています。しかし、菅さんの方がよくなかったと思います。また、同年5月に大阪局報道部が制作し放送された「クローズアップ現代」「追跡〝出家詐欺〟」で、やらせ問題が発覚し、国谷さんが番組の中でお詫びをするということもありました。これに関しても国谷さんには何の責任もありません。現場は2016年度以降も国谷さんでやっていきたいという強い意志がありました。ところが、NHK上層部は国谷さんの降板を決めます。政権への忖度が疑われても仕方がありません。
── 今、官邸は、菅官房長官の記者会見で、毅然とした態度で質問を繰り返してきた東京新聞の望月衣塑子記者に対する圧力を強めています。
永田:記者が執拗に追及するのは、追及すべき問題があるからです。森友、加計、辺野古移設、日露交渉、統計不正など、政権に問題があるからこそ、厳しく追及するのです。ところが、菅さんは、かつてのクロ現のように、まともに答えず、はぐらかしています。だから、何度も質問をする必要があるのです。私は、国民の知る権利に答えるために、記者としての責任を果たそうとしている望月さんを応援したいと思っています。
この問題について、
NHKのニュースが、何事も起こっていないかのようにふるまっていることが情けない。産経新聞に至っては、官邸に同調して望月さん攻撃を繰り返す始末です。
かつて評論家の加藤周一さんは、
「メディアスクラム」の重要性を強調していました。現在は、弱い人に対して各社が集中して強引な取材を行うというような意味で使われていますが、本来は「圧力をかけてくる権力に対して、メディアがスクラムを組んで一緒に戦う」という意味です。加藤さんが例として挙げたのは、1970年代前半、ニクソン政権の副大統領を務めたスピロ・アグニューが、スキャンダルを追及するマスコミに牙を剥いてきたときに、全米の新聞社がスクラムを組んだことです。
日本では今、沖縄の二紙や朝日・毎日、そして当の東京新聞は望月さんを孤立させてはならないという論陣を張ってはいますが、NHKをはじめ多くのメディアは音なしの構えです。どうか連帯して権力を監視し、国民の知る権利を守るというメディアの本来の役割を取り戻してもらいたいと思います。
(聞き手・構成 坪内隆彦)
永田浩三(ながた・こうぞう)
1954年生まれ。東北大卒。1977年NHKに入局後、教養、ドキュメンタリー番組制作に携わり、「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」のプロデューサーとして活躍。2009年、NHKを早期退職。武蔵大学教授(メディア社会学)。『
NHKと政治権力』、『
ベン・シャーンを追いかけて』、『
ヒロシマを伝える』『
フェイクと憎悪』(共著)など多数。