ベトナムの経済発展を支えてきたのは、若い労働力はもとより、1986年にベトナム共産党によって打ち出された市場経済システムの導入や対外経済開放などを推し進める「ドイモイ政策」と、各国からのODA(政府開発援助)によるインフラの整備などが影響していると言えるだろう。
日本はベトナムへのODAを最も積極的に行っている国の1つで、ホーチミン市では日本国旗のもと、同国初の地下鉄開通に向けた工事作業現場を随所で目にする。
しかしその一方、公的債務管理強化の影響により、円借款工事に対するベトナム側の未払い問題が発生している実態もあり、こうした問題が、持続的な経済発展への悪影響や、海外からの投資の鈍化に繋がるのではという懸念も出ている。
一方、ベトナム人の国民性はというと、一概には言えないが、比較的勤勉で真面目であると言われることが多い。また、引っ込み思案な性格も併せ持っているため、自ら行動したり発言したりすることがあまり得意ではない傾向がある。
日本で生活するうえで欠かせない感覚に「時間厳守」があるが、ベトナム人の時間的感覚は、日本と比べるとルーズであるといえる。が、ひとたびクルマやバイクに乗ると、日本人以上に短気になる一面があり、現地の高速道路では、現在日本でも社会現象となっている「煽り運転」が常態化。こうした乗り物を運転すると短気になるのは、世界共通の現象なのかもしれない。
ベトナム人に限ったことではないが、外国人が来日し、日本語学校や工場などに通い始めると口を揃えて訴え始めるのが「日本人の知り合いや友人ができない」という現実だ。
一般的に、「外国人は来日すれば日本人の知り合いが増える」と思われがちだが、学校や職場と自宅を行き来するばかりの彼らには、日本人と関わりを持つ機会がほとんどない。
職場やアルバイト先が外国人ばかりの環境だった場合はなおさらで、彼らが日々触れ合える日本人は上司か日本語学校の教師ぐらいしかいないのだ。そうなると、日本語の上達や文化理解にも影響し、ひいては日本人との共生もままならなくなってくる。
このような社会的孤独や金銭的負担、外国人の入居制限などにより、彼らは結果的に同郷の仲間と集団で生活することが多くなる。
特にベトナム人は団結力が強い国民性もあるため、こうした傾向が顕著だ。が、そこで必然的に強くなる「生活音」や「国料理の臭い」のせいで、「近所迷惑だ」というレッテルが貼られると、結局外国人であるというだけで入居できないケースが後を絶たず、集団生活からなかなか抜け出せなくなるという負のスパイラルが起こるのだ。
外国人との本当の共生というのは、「ただ日本に働きに来てもらう」ことではない。外国人が日本の生活に溶け込めなければ、外国人だけでなく受け入れ側である我々のQOLもいずれ低下していくだろう。そうならぬために、日本にはまだまだやらねばならないことが多くあるが、今後何よりもまず、互いを知って理解することが必要になってくるのは間違いない。
【橋本愛喜】
フリーライター。大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。日本語教育やセミナーを通じて得た60か国4,000人以上の外国人駐在員や留学生と交流をもつ。滞在していたニューヨークや韓国との文化的差異を元に執筆中。