――時の権力が統計を捻じ曲げるなど言語道断です。
福島:統計不正は財務省の決裁文書改竄、防衛省の公文書隠蔽、厚労省のデータ不正調査などに続いて出てきたものですが、一連の問題が明らかにしているのは「
日本はすでに近代国家の体をなしていない」という事実です。
私が通産省に入省して初めて配属されたのは調査統計部でしたが、統計は国家にとって死活的に重要なものです。
科学的な数量データである統計に基づいて客観的な政策を立案し、最終的な政治決断を下す――これが国家の原理原則です。統計は国家運営の前提であって、統計なくして国家運営はありえない。
だからこそ統計法上、調査の対象者には報告義務が課せられ、報告拒否や虚偽報告には罰則がかけられています。これは税法上、課税の対象者には納税義務が課せられ、脱税に罰則が設けられていることと同様です。統計の数量データは税金と同じように公権力を背景に徴収されたものであり、統計調査は徴税と同じように公権力の行使そのものなのです。
公権力とは、まさに公そのものであり、時の政権や政治の意向に左右されない絶対的なものです。それゆえ、公権力が定めた公文書や統計も絶対的なものでなければならない。
裁量や恣意性が入る余地があってはならないのです。しかし、
安倍政権の下で公文書の改竄、統計の過誤が明らかになっている。もはや公権力は絶対的なものでなくなったということです。しかも、森友問題で財務省は公文書を廃棄したといい、統計問題で厚労省は統計の個票データを紛失したという。これは税金を捨てたり失くしたというのと同じです。もはや統治機構そのものが機能不全に陥っている、すなわち
日本国家はもう壊れているのです。
その
責任は行政府の長である安倍にある。安倍に都合が良いように公文書や統計が書き変えられている以上、
公権力は安倍によって私物化されていると言わざるをえない。我が国における公権力の正当性は、戦前は天皇、戦後は国民に由来するものですが、現在では安倍に由来するかのごとくになっているということです。
かつて絶対王政の象徴であるフランスのルイ15世は「朕は国家なり」と豪語しましたが、
国会で「立法府の長」を自称して憚らない安倍は「僕は国家である」とでも思っているのかもしれない。その意味では「戦後レジームからの脱却」を訴えていた安倍こそが、悪しき戦後個人主義の権化だということです。
いずれにせよ、公文書改竄や統計不正など一連の問題は官僚の劣化では済まない。事態はもっと深刻で、我々日本人は明治以来150年にわたって営々と築き上げてきた
近代国家の崩壊に直面しているのです。
戦前の日本は統計を軽んじて大東亜戦争に突入して亡国の憂き目に遭いましたが、現在の日本も戦前と同じように破局へのレールに乗っているのです。我々は日本の敗戦を伝える米国のニュース映画のタイトルが「科学なき者の最期」であったことを忘れてはなりません。
(聞き手・構成 杉原悠人)
福島伸享(ふくしまのぶゆき)●1970年茨城県生まれ。通商産業省(現:経済産業省)を経て2003年に民主党から衆議院議員選挙に出馬。2009年に衆議院議員に。2017年、10月の第48回衆議院議員総選挙では希望の党から茨城1区で出馬するも惜しくも落選。
<記事提供元/月刊日本>