まず、(a)の「学術的な意義」についてです。データ提供について不正があったということは既に論文出版社側も(少なくともその可能性は)認めており、伊達市では調査委員会が設置されています。
実際に不正が認定されれば、論文自体が撤回となり、研究結果は「存在しないもの」という扱いになります。これは不正である、という観点からは当然であり、そうでなければ不正に入手したデータでも論文を書いて通ってしまえばこっちのもの、ということになってしまいます、というか、まさに、そういうことにします、と放射線審議会は宣言したということです。これは、
国が研究不正を推奨する行為であり、全く考えられないものである、というしかありません。
こう書くと、読者の皆さんの中には、「別にデータが不正に入手したものでも、結論が科学的に正しいならそれは採用してしかるべきではないか」と思う方もおられると思います。しかし、それでは、結論は科学的に正しいのでしょうか?
現在のところ、放射線審議会の論理は、第二論文については著者が間違いを認めているが、第一論文については論文に対する指摘もないので問題ない、というものです。しかし、この論文が元にしているデータには疑問がある、ということは、既に5年前、
2013年12月23日の東京新聞で指摘されています。
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実態とかけ離れる「個人に線量計」調査 7割の家庭で屋内に置きっぱなし 本紙が伊達市で実態解明
政府は東京電力福島第一原発事故の復興指針で、空間線量を基に住民の被ばく線量を推定する方法から、個人に線量計を渡して実測する方法に改めることを決めた。暮らしぶりで被ばく線量は異なり、こまやかな対応につながる可能性はある。ただ、先進事例とされる福島県伊達市では、家の中に線量計が置きっぱなしのケースが多かった。実際より格段に低いデータが独り歩きすれば、避難住民に早期帰還をせかす恐れもある。(山川剛史、清水祐樹)
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この記事では、実際に18世帯、48人について、「ガラスバッジをちゃんと身につけていたか」を聞いています。結果として、そうしていたのは8人だけ、あとの大半が「家の中に置きっぱなし」と回答した、と報告しています。このことから、「実際より格段に低いデータが独り歩きすれば、避難住民に早期帰還をせかす恐れもある」と記事では懸念を示しているのですが、3年後には同じデータが科学論文の装いをもって現れ、5年後には放射線審議会でも「学術的な意義」が認められてしまう、という、懸念したとおりのことが起こったわけです。
伊達市のデータは非常に人数も多い、貴重なデータではあるのですが、
「実際にガラスバッジがどこにあったか」をちゃんと確認しないで、「調査期間中携帯していた」という安易な仮定の下で解析してはいけない、そうすると過小評価になる可能性が高いデータである、ということは 2013年の段階で明らかになっていたのですが、そういうことを
無視して宮崎早野論文は執筆され、さらに国の委員会の資料にもなっている、ということになります。