―― 「平成の呪い」は、日本が自滅した結果のようです。
平野:平成の日本は政治改革、税制改革、財政・金融改革、対米自立に失敗した結果、議会政治の劣化、格差拡大、新自由主義、対米従属に陥っています。私は政治家としてこれらの問題を何とかしようとしてきましたが、全て潰されたのです。
―― 平野さんはなぜ負けてしまったのですか。
平野:それはいい質問ですね(苦笑)。敗因の一つは、日本に民主主義が根付いていないことです。小選挙区制の問題が指摘されて久しいですが、これは制度の問題ではなく、それを運用する政治家の資質の問題だと思います。政治家が民主主義の理念を弁えていないからこそ、健全なる野党と政権交代が成立する制度にしても、それらを実現することができなかったのです。
国民もそうです。政治不信は窮まりつつありますが、国民は主権者として権力に抵抗しようとしないじゃないですか。わが国は100年以上の憲政史を有しますが、未だに日本の議会政治には、古代から培った弱きを助ける「共生」という大和魂が入っていない。その意味では、明治維新は未完なのだと思います。
しかし、最大の敗因は自民党が日本国家の改革よりも55年体制の利権構造の温存を優先したことです。その結果、政治腐敗は安倍政権の下で窮まりつつある。危機的情況ですよ。このままでは、日本の議会政治は平成で終わりかねない。
私は平成5年、副総理の後藤田正晴に日本の政治腐敗、政治不信の行く末について国会で質問したことがあります。後藤田は昭和初期に政治不信が軍部の台頭を招いたことを念頭に、「いちばん心配しているのは、国会自身が自浄作用を失った時に、それなら俺が代わってやるという動きが出てくることだ」「政治改革ができなきゃ、また地獄に落ちるよ」と答えました。我々日本人が自らの手で「平成の呪い」に決着をつけない限り、平成以後の時代に「また地獄に落ちる」ことは避けられないと危惧しています。
<聞き手・構成 杉原悠人>
ひらのさだお●1935年高知県生まれ。政治家秘書を経て92年、参議院議員初当選。自由民主党、新生党、新進党、自由党などを経て2003年民主党に合流。議会運営と立法過程に精通する政治家として評価される。04年、政界引退