── 戦後の右派は自分なりの天皇像を持っているという点では戦前の右派と共通していますが、戦前ほどバラエティ豊かな天皇像は持っていないように見えます。
片山:戦後の日本は、天皇は象徴天皇という形で残りましたが、あくまでも民主主義で国民主権の国ということになりました。『近代天皇論』(集英社)でも議論しましたが、民主主義を突き詰めればアメリカやフランスのように共和国になるのが一番ということになります。そのため、戦後の社会では長らく天皇制を廃止すべきだという声が強くありました。
たとえば、左翼的な雑誌などでは、天皇がいると軍国主義が復活するとか、保守的な政治家が天皇を利用しているといった議論がなされていました。また、昭和天皇が国民の前に姿を見せることは、内なる天皇制の強化につながるという主張もありました。
これは左派に限った話ではありません。一般国民の中にも昭和天皇のことを「天ちゃん」と呼び、軽く扱っている人たちがいました。好意的に解釈すれば、昭和天皇に親しみを感じていたということになりますが、「天ちゃんはいいよな、働かなくていいんだから」といったことが日常会話として行われていたのです。
こうした流れが強い以上、戦後の右派はとにかく今いる天皇を守ることに特化していったのだと思います。戦前の右派のように天皇を担いで様々なビジョンを実現しようとするような余裕がなかったのです。しかも天皇主権でなく、国民主権の戦後国家ですから、世の中を変えたいと思うときに天皇を担ぐ理屈は出てきにくい。戦前の右翼は天皇の鶴の一声による革命幻想に耽りましたが、それは天皇が憲法上絶大な権力を持っていたからです。戦後憲法はそうではない。革命を考える人は戦前よりもずっと左翼に集まる。右翼は革命的性格を弱め、保守の性質を強めました。
もう一つ指摘すれば、冷戦構造が関係しています。冷戦時代にはソ連が世界中に社会主義や共産主義を輸出していました。もし日本がソ連の傘下に入ることになれば、当然天皇制は廃止されます。これに対して、アメリカは共和国ではありますが、ひとまず日本に天皇を残しました。そのため、戦後の右派たちは、大東亜戦争の恨みがあるとはいえ、アメリカと手を結ぶことで天皇を守ろうとしたのだと思います。
また、戦後の日本は日米同盟を結んだので、他国よりも軍事費がかかりませんでした。そのため、官民一体となって高度経済成長を成し遂げ、豊かな社会を実現することができました。その結果、アメリカと結べば天皇を守ることができ、しかも経済的に豊かになれるという意識が強くなっていったのだと思います。
こうした意識は冷戦構造崩壊によってさらに強くなりました。今では隔世の感がありますが、当時はソ連が崩壊したことで、アメリカ一強の世界になると言われていました。天皇の制度を維持しようとする人たちにとっては、天皇を脅かす最大の敵が消滅した。今ある天皇をそのまま保つという現実至上主義で満足する。戦後の右派はそうした状況のまま今日まで来てしまったということだと思います。