平成最後の島耕作論。団塊サラリーマンと平成<「サラリーマン文化時評」#7>

真実一郎
 社長を退任して会長になってから、島耕作が注目されることがめっきり少なくなったような気がする。「会長編」は地味なビジネス視察が中心で、恒例のワンチャンも無い枯れた展開なので、致し方ない面もある。島耕作に関して書いたこの記事も、正直あまり多くの人に読まれるような気はしない。

「新しいサラリーマン」としての団塊世代=島耕作

筆者撮影

 それでも平成という時代を振り返るとき、島耕作という存在は外せないと思い、有楽町マルイで開催されている「島耕作『超』解剖展」を訪れてみた。平成という時代は、島耕作のような「団塊の世代」が日本経済の主役を担った時代なので、島耕作を総括することは平成を総括することでもあるはずだ。  団塊世代とは、終戦後の’47年から’49年にかけて生まれた、第一次ベビーブーマーのことだ。「日本の高度経済成長は団塊世代が支えた」と近年よく誤解されるけれど、高度経済成長期というのは’54年から’73年まで。当時団塊世代はまだ社会に出たばかりで、高度経済成長は彼らより前の世代の功績だ。  島耕作は’47年に生まれ、’70年に総合電機メーカーに就職。入社6年目に主任、10年目に係長、13年目に課長へと順調に昇進する。’92年に総合宣伝部部長になるものの、派閥争いの煽りを受けて貿易会社やレコード会社へと出向。市場調査室という閑職や、福岡の販売センターへの左遷まで体験する。しかし、上司たちの計らいによって本社取締役へと出世し、社長、会長へと登り詰める。  展覧会の長大な年表や名場面パネルを眺めていると、島耕作は団塊世代が模索した「新しいサラリーマン」のシンボルだった、とあらためて思う。彼の働き方や仕事観は、会社の歯車として日本復興のためにモーレツに働いた上の世代=昭和サラリーマンとは違う点がいくつもあった。  旧世代との線引きが行われた最も象徴的な場面は、有名な「裸踊り」のエピソードだろう。課長時代、取引先の重鎮たちから宴席で裸踊りを強要され、島は断って取引先を怒らせてしまう。今だったらパワハラで訴訟になってもおかしくない案件だけれど、当時はまだ根強く蔓延っていた昭和の泥臭い旧習に、島は勇敢に疑問を呈してみせた。  戦争を知らない団塊世代である島耕作は、家父長制度に縛られた窮屈な日本人像に対して、常にカウンターを提示し続けた。会社では派閥を作らず、パワハラに抗い、女性を重用し、成果主義を導入。プライベートでは離婚を恥じず、人種差別を嫌い、ゲイに寛容。自民党寄りで原発推進派だから右派と思われがちだが、彼は実際はかなりなリベラルで、だからこそ旧世代を乗り越える新しいサラリーマン像に見えたのだろう。

なぜ島耕作は出世し続けなければならなかったのか?

 一方で、島は昭和の遺産も受け継いでいる。それは軍隊の階級制度を彷彿させる、ひとつの会社組織内での「出世」至上主義だ。 『課長島耕作』の記念すべき第1話は、課長への昇進が決まった島が小躍りするシーンから始まる。以降、出世は物語の太い縦軸として機能し続けてきた。作品名自体に役職がついていることからも、そのことは明白だ。なぜここまでひとつの会社での出世が描かれたのか?  島の学生時代を描いた「就活編」を読むと、学生運動の嵐の真っ只中で進路を決めざるを得なかった島耕作は、2つの矛盾する感情を抱いていた。就職に不利な政治活動に深入りしない自分は冷静で賢い、という優越感。一方では、就職せず学生運動に青春を熱く燃やせる同級生たちに対する、尊敬にも似た羨望。この両極に引き裂かれた彼は、就職という選択を正当化させるために、自分が選んだ会社に固執し、人生を預け続けたのだろう。それは島耕作個人だけでなく、広く団塊世代を支配してきた「就社」意識の淵源なのだと思う。  だからこそ、団塊世代サラリーマンの夢の化身である島耕作は出世し続けなければいけなかった。この物語に登場する人々にとって、出世競争から降りることは大きな悲劇として描かれる。島耕作を社長の座から引きずり降ろし、自らが社長となるべく謀議を図った宇津賀副社長は、クーデターが失敗すると自殺してしまう。彼らにとって、出世とは人生そのものなのだ。  しかし、島耕作が提示した「新しいサラリーマン」の理想像も、いまやその効力を急速に失いつつある。
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「黒人映画は売れない」の偏見を打ち破ったヒーロー映画
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