政治家の不誠実な答弁を放置する、日本の「ジャーナリズム」の病理

菅野完
kouno

写真/時事通信社

記者の質問を無視するアホ。それを追及せぬアホ

 我が家の子供は、いまごろになって、いろんな物陰から顔を出しては「ひょっこりはん!」と叫ぶ遊びに興じている。そのたびに、「それ、ちょっと古いから……」と指摘するのだが、意に介さない。  これは親である私のせいだ。  我が家では私が仕事のためにエアチェックする時以外、地上波テレビをほとんどつけない。その代わり、子供たちはCSの時代劇専門チャンネルを観たり、古い松竹新喜劇のDVDを私のDVDラックから取り出して観たりしている。彼らが「最近のお笑い」を仕入れるのは、私がたまに閲覧を許すYouTube。そのため彼らの「最新のお笑い」は常に世間から一歩遅れたものになってしまうのだ。これでは少し子供がかわいそうだと、私が原稿を書いていない時など、好きにテレビを観ていいと水を向けるのだが、それより時代劇や落語や新喜劇のほうが面白いらしく、たまに観るYouTubeで満足している。  その子供たちが久々に「最新のネタ」に飛びついた。ここ数日は、何を呼びかけても、どう喋りかけても「次の質問、どうぞ」を繰り返している。今夜何食べる?と聞いても「次の質問、どうぞ」。宿題終わったの? と聞いても「次の質問、どうぞ」だ。  河野太郎外務大臣が外務省の記者会見で、記者からの質問に、「次の質問、どうぞ」を繰り返し、回答を拒否したあのシーンを子供たちがネットのニュースで観たらしい。子供たちがネタとして受け止めるほど、河野大臣の「次の質問、どうぞ」は幼稚で滑稽なものなのだろう。  小賢しさを発揮すれば、河野大臣のあの発言を擁護することはいくらでも可能だ。 「外交交渉の最中にその交渉についての質問に答えられるはずがないではないか」「従前から北方領土問題については、日露間の機微に慮って回答を差し控えてきたのだから質問するほうが悪い」などなど、今思いつくだけでもいくらでもひねり出すことができる。  しかしである。「その質問は、外交上の機密に立ち入る必要があるため、回答は差し控えたい」など回答のしようはいくらでもある。にもかかわらず、外務省の省務の一環として開かれる定例記者会見で、記者の質問を「無視する」とは、原理原則からいえば「市民の知る権利」に対する重大な挑戦であり蹂躙であるそしりは免れない。
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現場記者の不甲斐なさ
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