日産スペインが「ゴーン会長逮捕」の報に気が気でない理由

白石和幸

アビラにある日産スペイン(日産モトールイベリカ)の工場 (photo via NMISA)

 日産自動車のカルロス・ゴーン氏が所得を過少に申告したという容疑で逮捕されたことを受けて、スペインで今後の同社の方針に不安を抱いているのが日産スペインだ。  というのも、日産スペインは年間20万台生産できる体制にあるにもかかわらず、現在その40%しか生産しておらず、今後それが30%まで落ち込む可能性もあるというからだ。そうなれば、会社は完全に大幅赤字を計上することになる。従業員は3000人であるが、既に100人余りが余剰雇用になっていると見られている。ゴーン逮捕に伴う今後の日産の世界市場戦略において日産スペインがどのような位置づけになるか、従業員は非常に不安をもってその成り行きを見守っているそうだ。

ジョイントベンチャーとしてスペイン進出した日産

 日産がスペインに進出することになったのは次のような経緯があった。  80年代に入ってスペインでトラックを主体に生産していたバルセロナのソナ・フランカ地区に所在する企業モトール・イベリカ(Motor Iberica)にジョイントベンチャーで進出したのが日産スペインの始まりである。正式な社名はNissan Motor Iberica(日産モトールイベリカ=NMISA)という。  70年代に、モトール・イベリカは輸出の不振などから経営難に陥っていた。当時、スペイン政府はスペインで同じくトラックなどを生産していたエナサ(ENASA)と合併することを望んでいたという。しかし、モトール・イベリカの当時の社長ペドロ・オラバリアはそれに強く反対してバレンシアに進出したばかりのフォード・モーター社に打診。もともとモトール・イベリカはフォードの子会社としてスタートした会社であるが、フォードは1966年にモトール・イベリカから撤退していた。その経緯もあって、フィードはモトール・イベリカへの新たな参入に興味を示さなかった。その後、ゼネラル・モーターズがスペインに進出する際にモトール・イベリカへの参入について検討したようたが、説得するには十分でなかった。そこで、ペドロ・オラバリアが白羽の矢を立てのが日産であった。  ただ、当時のスペインは欧州連合(EU)の前身である欧州経済共同体(EEC)に加盟する寸前で、ブリュッセルの本部からEEC圏内に日本の企業が進出することには些か難色を示していた。  しかし、ペドロ・オラバリアの強い希望とスペイン政府もスペインの産業発展の為には日産のスペイン進出に関心を示すようになっていた。そうした背景もあって、スペイン産業省の代表が日本を訪問して日産の経営陣と会談するまでに発展したのである。  結果、日産はモトール・イベリカの株36.5%を持っていたカナダのマッセイ・ファーガソンからその株を取得し、さらにモトール・イベリカの複数の株主からの株も購入して過半数の55%の株でもっとジョイントベンチャーに参加したのであった。それが発展して、1982年には日産から役員と技術者がモトール・イベリカを訪問。そして1983年1月に日産・パトロール第一号が市場に現れたのであった。初年度は4000台の生産が目標であった。(参照:「El Pais 1979年12月13日付け」、「El Pais 1982年5月6日付け」、「El Pais 1983年1月28日付け」)
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