オランド時代からサウジに軸を置き始めたフランスの中東外交
フランスが戦後特有の独立したフランス外交から比較的米国に沿うような形の外交を展開し始めたのはサルコジ元大統領の政権からである。但し、サルコジはサウジではなくカタールとイスラエルを中東外交の中心に置いた。オランド前大統領になると、軸をカタールからサウジとの外交に移しての中東外交を展開。勿論、武器の販売もそれに沿う形で、サウジを介してエジプトやレバノンなどにもフランスの武器を輸出するようになった。
オランド政権下でエジプトが戦闘機ラファールを24機購入するのを決めた時も、その購入資金としてサウジが援助した。また、レバノンへのフランス製の武器の供給にもサウジが資金を出している。
例えば、2015年10月には当時フランスの首相だったマヌエル・バルス(来年バルセロナの市長選挙に立候補予定)がフランスから20社の企業代表を同行させてサウジ、エジプト、ヨルダンを訪問している。この訪問で100億ユーロ(1兆3000億円)の契約が結ばれた。(参照:「
El Pais」)
昨年11月にサルマン皇太子によって拘束されたレバノンのハリリ首相の解放にリヤドを訪問したのはマクロン大統領で、そのあとハリリがレバノンへ帰国する前にパリで一時過ごすのをサルマン皇太子は許可している。
このようにフランスはサウジとの親密な関係を維持しているのである。それをあえて犠牲にしてまでカショギ殺害に関わってサウジを批判するのは都合が良くないと判断したのがフランスマクロン大統領の外交である。ル・ドリアン外相によるトルコから送られたとする録音の受領を否定したこと、それはそうした事情を背景にしたフランスの「具体的表現」なのである。
<文/白石和幸>
しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営から現在は貿易コンサルタントに転身