11月2日、日本記者クラブで会見を行った安田純平さん
さまざまな点で驚くべき会見であった。
シリアで拘束されていたジャーナリストの安田純平さんが、帰国後初の会見を日本記者クラブで行った。安田さんの解放をめぐってはこれまで、日本政府がトルコ政府やカタール政府に働きかけていたとか、イギリスに拠点を置くシリア人の人権団体が「カタール政府が身代金を払った」といった声明を発表するなどの報道が飛び交っていた。
だが、安田さんが自らの口で語った解放の顛末は、これらの報道に疑問を持たざるを得ないものだった。安田さんが約40か月の拘束から解放された背景には、孤立無援の中での安田さんの必死の抵抗があったようだ。
日本政府の反応がないためか、犯行グループに「虐待」される
2015年6月、トルコ国境からシリア入りした後、シリア入りしてすぐ拘束された安田さん。当初は待遇もそれほど悪くなかったが、日本政府が犯行グループへ応答しなくなってから、安田さんへの扱いが悪化していったという。
「2015年7月下旬に日本政府にカネを要求すると言われ、8月下旬に家族の名前など個人情報を書けと言われた。家族に対して申し訳ないなど簡単なメッセージを書いた」(安田さん)
犯行グループは「日本側からカネを払う用意はあると言ってきた」と安田さんに伝えたという。だが、その後、犯行グループ側に日本政府からの連絡はなく、同年12月を過ぎたあたりから「(犯行グループは)日本側から返事が来なかったということで非常に機嫌が悪くなってきた」という。
その後、犯行グループは、安田さんに自らの助けを乞う動画を撮らせるが、やはり日本政府からの反応がなかったためか、苛立ちを安田さんにぶつけるようになる。幅1m、長さ2mほどの部屋に移されほどの狭い部屋に閉じ込められ、身じろぎして少しでも物音をさせると嫌がらせをするようになったという。
「電気を消したり、チカチカ(明滅)させたり、サウナのような暑さの中で扇風機を消したり。食事として鶏肉を持ってくるけれど、骨だけを大量に集めて持ってくるといった嫌がらせを始めました」(安田さん)
安田さんは水浴びを禁止され、痒さで体をかくと、その音でまた嫌がらせを受けることに。こうした「虐待状態」は2017年の8月頃からエスカレートしていき、同年10月、11月頃には、24時間全く身動きが取れず、寝返りすらできない状況になったという。我慢の限界に達した安田さんはハンガーストライキを決行。全ての食事を拒絶するようになった。