ダムを境に被害が分かれていた肱川大水害。復興進まぬ肱川水系調査で判明
鹿野川ダムを境に明確に分かれていた被害

鹿野川ダム周辺の集落で被災跡を残す建物。手前空き地が標高50mなので、水は少なくとも標高55mの高さまで来ている。写真右奥は、水害により3ヶ月通行不能となっていた鹿野川大橋。 2018/10/20撮影
- 下流の肱川大和集落から見た鹿野川ダム 撮影地点は、標高50mで、鹿野川ダム堤頂部は標高91m。写真右は、肱川大和団地。護岸が破壊され、道路も洗掘によって大きく損壊している。2018/10/20撮影
- 鹿野川ダムの写真と同じ地点から広角撮影したもの。写真左の工事中の施設は、建設中のトンネル式洪水吐(こうずいばき)。中央奥の荒地は、多目的運動場である大洲市下石丸ふれあい広場が水に剥ぎ取られて無くなった跡。駐車場と雑木林も無くなっている。多目的運動場には、川べりに建物が建っていたが、これも完全に無くなっている。 2018/10/20撮影
- 対岸から見た肱川大和集落。写真手前右から、雑木林、駐車場、多目的広場とあり、手前に道路がある筈だが、すべてなくなっている。ダムの手前にある県営肱川発電所も水没した。 2018/10/20撮影
- 鹿野川ダム管理事務所横から撮影した肱川大和集落。写真中央で肱川発電所への道路が激しく侵食されている。肱川大和団地から河川敷の運動公園へおりるコンクリート舗装の車道は無くなっている。 2018/10/20撮影
- 鹿野川ダム管理事務所横から撮影した肱川大和集落。河川敷へおりる道路の破壊がよくわかる。中央の桟橋型構造物は駐車場だが、支柱が洗掘により基礎を失い構造物が座屈している。 2018/10/20撮影
- 鹿野川ダム管理事務所横から撮影した肱川大和集落。河川敷の荒地に見えるが、手前から駐車場、川べりに建屋のある多目的運動広場、駐車場、雑木林の丘となっていた。後方の集落が流失しなかったのは、雑木林が防護林となった為の可能性がある。2018/10/20撮影

対岸から見た肱川大和集落。上の白線は、国道197号線。集落は、石積みの護岸の上にあるが、雑木林のあったところで大きく削り取られ、民家の敷地まで侵食されている。侵食がこれ以上進めば、集落が流される危機にあった。 2018/10/20撮影
<文/牧田寛 Twitter ID:@BB45_Colorado photo/USMDA via flickr(CC BY 2.0)>
まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題についてのメルマガを近日配信開始予定
Twitter ID:@BB45_Colorado
まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題について、そして2020年4月からは新型コロナウィルス・パンデミックについてのメルマガ「コロラド博士メルマガ(定期便)」好評配信中1
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この連載の前回記事
2018.10.30
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