日米FTA交渉開始で離れる農村票。総裁選の石破善戦に沖縄県知事選での惨敗、翳り始めた「安倍一強」に追い打ちか
総裁選の地方票で石破氏が肉薄、沖縄県知事選で与党惨敗……かげる安倍人気

のどかな農村風景。しかし村のくらしは厳しくなる一方だ(福島県三春町で)
2007年参院選の与野党逆転で、勝敗を分けたのは農村票だった
第1次安倍内閣が発足したのは2006年。戦後政治の総決算を掲げ、70%という高い支持率を誇っていた。しかし、閣僚の不祥事とそれにともなっての辞任が相次ぎ、支持率が急落、2007年の参院選で惨敗、与野党逆転を許してしまった。
2007年7月29日、運命の参院選挙が投票日を迎えた。結果は自民党の大負けだった。改選議席121に対し、当選したのは自民37、民主60。自民党は参院第一党の座を滑り落ちた。自民党は都市部でも振るわなかったが、勝敗を分けたのは地方区で、自民党は1人区で6勝23敗と大きく負け越した。地方経済の不振、中でも農村の疲弊が背後にあった。
グローバルな貿易自由化を狙ったガット(貿易と関税に関する一般協定)の多角的交渉で、1993年に日本はコメの部分自由化を受け入れた。それが動き出した1995年以降、生産者米価は毎年下がり続け、10年後には1990年代前半の6割程度にまで下落していた。
政府の農業経営規模拡大の政策に沿って土地を広げ、機械設備を大型化した農業者は、そのための借金が払えなくなり、後継者は農業を去り、耕作放棄地が激増していた。
こうした状況に、民主党は中小規模農家の存続を視野に置いた農業政策で、大規模化一辺倒の自民党農政に対峙した。国際的な市場競争のなかで下がり続ける米価に歯止めをかけて、農家の所得を一定程度保障する「戸別所得補償政策」を打ち出したのだ。
主導したのは小沢一郎氏。「小沢農政」と呼ぶ者もいた。これによって、伝統的に自民党の地盤だった農村部に地殻変動が起こった。それが爆発したのが2007年参院選だった。
安倍政権に話を戻すと、安倍首相はこの大敗を受けても政権維持に執着、第1次安倍改造内閣が同年8月27日に発足した。しかし1か月後の8月26日、安倍首相が突然辞任、福田内閣に代わる。
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