総裁選の地方票で石破氏が肉薄、沖縄県知事選で与党惨敗……かげる安倍人気
のどかな農村風景。しかし村のくらしは厳しくなる一方だ(福島県三春町で)
3選をかけた自民党総裁選挙で対立候補の石破茂氏を圧倒的票差で破り、第4次安倍内閣が発足した。しかし、なんとなく勢いがない。来年7月の参院選が暗い影を落としているからだ。
参院選挙の結果はこれまでも時の政権を揺るがし、政治の流れを大きく変える役割を果たしてきた。第1次安倍内閣を下野に追い込んだのも、2007年7月の参院選だった。その参院選の結果を左右したのは1人区の動向、つまり農村票の行方だった。
対立候補に圧倒的票差をつけて大勝したはずの安倍首相に、勢いが感じられないのはなぜなのか。一つは総裁選での地方票で石破氏に肉薄されたこと。あと数日の運動期間があれば、地方票では石破氏が過半数以上を取ったのではないかとさえ言われている。これによって、地方党員の間でも安倍首相は不人気であることが露呈した。
続いて与野党が激突した沖縄知事選で、圧倒的票差で自民・公明が全力で支援した候補が惨敗したこと。これによって、野党が一本化すれば与党と互角に戦えることが立証された。3選を果たし「さあ改憲」と勢い込んでいる安倍政権が、場合によっては来年7月に終わってしまう可能性さえ出てきたのである。これまでの歴史を振り返ってみよう。
2007年参院選の与野党逆転で、勝敗を分けたのは農村票だった
第1次安倍内閣が発足したのは2006年。戦後政治の総決算を掲げ、70%という高い支持率を誇っていた。しかし、閣僚の不祥事とそれにともなっての辞任が相次ぎ、支持率が急落、2007年の参院選で惨敗、与野党逆転を許してしまった。
2007年7月29日、運命の参院選挙が投票日を迎えた。結果は自民党の大負けだった。改選議席121に対し、当選したのは自民37、民主60。自民党は参院第一党の座を滑り落ちた。自民党は都市部でも振るわなかったが、勝敗を分けたのは地方区で、自民党は1人区で6勝23敗と大きく負け越した。地方経済の不振、中でも農村の疲弊が背後にあった。
グローバルな貿易自由化を狙ったガット(貿易と関税に関する一般協定)の多角的交渉で、1993年に日本はコメの部分自由化を受け入れた。それが動き出した1995年以降、生産者米価は毎年下がり続け、10年後には1990年代前半の6割程度にまで下落していた。
政府の農業経営規模拡大の政策に沿って土地を広げ、機械設備を大型化した農業者は、そのための借金が払えなくなり、後継者は農業を去り、耕作放棄地が激増していた。
こうした状況に、民主党は中小規模農家の存続を視野に置いた農業政策で、大規模化一辺倒の自民党農政に対峙した。国際的な市場競争のなかで下がり続ける米価に歯止めをかけて、農家の所得を一定程度保障する「戸別所得補償政策」を打ち出したのだ。
主導したのは小沢一郎氏。「小沢農政」と呼ぶ者もいた。これによって、伝統的に自民党の地盤だった農村部に地殻変動が起こった。それが爆発したのが2007年参院選だった。
安倍政権に話を戻すと、安倍首相はこの大敗を受けても政権維持に執着、第1次安倍改造内閣が同年8月27日に発足した。しかし1か月後の8月26日、安倍首相が突然辞任、福田内閣に代わる。