「ハーフ」の記者が感じた、テニス・大坂なおみを巡る「日本人らしさ論」への疑問
最後に考えてみたいのは、「ほとんどアメリカで育っているのに、活躍したときだけ日本人扱いするのはおかしい」という意見だ。たしかに、これだけ大坂選手が“日本人っぽくない”という部分が取り上げられ、騒がれる一方で、「日本人が優勝した!」と喜ぶのは都合がいいようにも思える。
しかし、重要なのは大坂選手自身が日本人として出場することを選んだことだ。
大坂選手が自身のアイデンティティについて、どう思っているかはわからないが、少なくともテニスプレーヤーとしては日本人であることを選んだのは事実。彼女のテニスプレーヤーとしての成長に米国の育成環境や指導がどれだけ活きたのかは、また別の話だ。日本人として出場するという彼女の意志を無視して、選手としての彼女の“日本人度”を議論するのは不毛な気がする。
スポーツに関してのアイデンティティやナショナリズムというのは複雑な問題だ。例えば今年サッカーロシアW杯で優勝したフランス代表に対しても、「移民のアフリカ系選手ばかりじゃないか!」という批判が噴出した。日本代表でも、ハリルホジッチ監督が解任された直後に「オール・ジャパン」なんて見出しが新聞に踊り、「これまでは日本代表じゃなかったの?」という声があがった。
二重国籍を認める国はかなり増えているが、スポーツに関しては代表する国をひとつしか選べないことがほとんどだ。生まれ育った国ではないけど、より活躍できる環境や結果を求めて、どの国の代表を選ぶか考える選手もいるだろう。大坂選手が日本を選んだのにもいろんな理由や背景があったはずだ。
大坂選手のアイデンティティについては、第三者の議論ではなく、もっと彼女自身の声を聞きたい。それが英語でも片言の日本語でもいい。
だが、どれだけ彼女が“日本人っぽい”のか? “日本人らしい”のか? 誰かの考えた“日本人度”を満たすために、何かを証明する必要はないと思う。
<文/林泰人>
ライター・編集者。日本人の父、ポーランド人の母を持つ。日本語、英語、ポーランド語のトライリンガルで西武ライオンズファン